ここが変だよ日本のテレビ デーブ・スペクターふるう愛のムチ
「僕は日本のテレビが大好きだから、先々がちょっと心配なんですよ」。いつになく真剣な面持ちで語るのは、外国人タレントのデーブ・スペクターさん。デーブさんは1983年の来日以降、38年間ものあいだ、テレビ業界の変化を目の当たりにしてきた。そんな彼がいま痛切に感じる、現在の日本のテレビに対する「ここが変だよ!」とは。偶然に偶然が重なった来日経緯とあわせ、話を聞いた。 (ジャーナリスト・中村竜太郎/Yahoo!ニュース Voice編集部)
日本に引っ張られる運命? 偶然が重なり現在へ
――デーブさんはそもそもなぜ日本に来たのですか。 僕は完全な“日本オタク”だったんです。ネットで「上尾第二小学校出身」と噂されていますが、出身は埼玉ではなくアメリカのシカゴ。小学校5年の時、日本人の転校生に影響を受けて、『少年サンデー』や『少年マガジン』に夢中になった。『おそ松くん』『巨人の星』『あしたのジョー』『オバケのQ太郎』が大好きな少年です。当時インターネットはないしテレビも海外ネタはほとんどやっていなかったので、一般的アメリカ人はゴジラと富士山をかろうじて知ってるくらい。両親からすると僕は変わってる子でした。漫画がきっかけで日本に興味を持ち、日本のことを全部知りたくなって、日本人コミュニティからもらった本を貪るように読み、学習雑誌『小学一年生』を教材にして段々とレベルを上げて、平仮名や漢字も読み書きできるようになりました。
――それからどうしたんですか? 地元の工業高校を卒業後、日本の上智大学へ1年間留学して、それから放送の仕事がしたいとアメリカの専門学校へ入学。一方で昔からお笑いが好きだったのでコメディライターもいいかなと思い、新聞や雑誌にジョークを投稿したりしていました。それからロサンゼルスへ引っ越しして、ラジオやテレビの仕事をしたり。けれど自分の中では「日本は趣味」と線引きして、大好きなんですけれどハマりすぎるからロスのリトルトーキョーにも足を踏み入れないようにしていたのですが、誘惑に負けて結局行くように(笑)。ホテルニューオータニでコンシェルジュをしていた、英語でいうとワイフ?(笑)、と出会ったのもそこでした。 ――日本に引っ張られる運命だったんですね。 そう、偶然が重なった。仕事で来日したのも運命かも。アメリカのテレビ番組スタッフとして働いていた80年代、特番のミーティングがあったんです。そしたら大物プロデューサーが大遅刻。場繋ぎで世間話をしていたら、そこにいた担当者が偶然日本好きだったことがわかり、話が弾んで、「今度世界のドキュメンタリーを作るから、君、日本へ行ってくれないか」とその場で抜擢されたんですよ。2週間だけですぐ帰ろうと思ってきたのですが、依頼された仕事以外に、日本の面白い番組をバンバン送って紹介していたらすごく喜ばれて、結局ずっといることになっちゃった。長年日本にいますけど、「あれ?ずいぶん出張が長いなあ」と思いますね(笑)