“共演NG”中日ドラ1・金丸夢斗、有名審判員の父が「ただ一度だけ息子の試合を裁いた日」マスク越しに見た投球に「いい投手になったなあ…」
一度限りの“父子共演”
選手として甲子園に立つ夢は、息子もかなわなかった。それどころか新型コロナの感染拡大により、最後の夏は甲子園へは通じていない独自大会になった。家族が出る公式戦を、審判員は裁くことはできない。つまり「親子共演」は不可能なのだが、独自大会前の練習試合で特別に球審を務めた。 「それまでもキャッチボールとかはしていたので、夢斗がどれくらいの球を投げるのかを、ある程度はわかっていたつもりでした。でも、あの日は審判として見たんです。甲子園の準決勝や、決勝戦で投げる投手と遜色のない球を投げていました。本人にもそう伝えましたし、いい投手になったなあと」
球審の父が見た「息子のボール」
審判はたとえ褒め言葉であっても球児の個人名を出して論評しないのが暗黙の了解だ。だから「○○と似ていた」とは言わないが、あの日、父ではなく審判の目で見た金丸夢斗のボールは、間違いなく世代屈指のクオリティだった。高校時代に息子の試合を裁いたのは、後にも先にも1度だけ。互いに最高の思い出となった。 雄一さんはこの先も審判員は続けるが、甲子園はこの夏の準々決勝、智弁学園対京都国際を最後に退く。甲子園で審判員を務めるのは、意欲や情熱があれば誰でもできるわけではない。各都道府県で経験を積み重ね、模範試合と呼ばれる大会、試合の判定や動きを見て、高野連が推薦する。
甲子園支えた「自慢の父」
「ある意味では審判員も選ばれています。でも甲子園の決勝戦などを見ると、生徒やその家族、OBや地域の方々のものすごい応援があります。この1試合に懸けている。その思いがひしひしと伝わってくるんです」 開催されなかった年を除いても、13年間、思う存分「甲子園」を味わった。くすぶっていた青春は、完全燃焼できたのかもしれない。甲子園での勇姿を目に焼き付け、精進してきた夢斗にとっては「自慢の父」。4年前の初夏、特等席からマスク越しに見たあの球は、さらに進化した。プロ野球の打者相手にどれだけ通用するか。今度は審判ではなく、父の目で見て、声援を送る。
(「草茂みベースボールの道白し」小西斗真 = 文)
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