誰が地元を離れ、誰が地元に残るか──地方圏から大都市圏へ流出人口の変容
最近は後継ぎ要員も地方圏から流出
1970年頃から地方圏の転出超過数は急激に縮小し、1970年代半ばにはほぼゼロになって大都市圏と地方圏との人口移動が均衡しました。図2でも見たように4人以上いた平均きょうだい数が2人程度まで急激に減少したことによって、潜在的他出者の規模は以前に比べて非常に小さくなりました。潜在的他出者仮説は、こうした平均きょうだい数の減少から地方圏からの人口流出の沈静化を説明してもいます。 このように考えるならば、その後の世代も平均きょうだい数は2人程度で安定し、潜在的他出者がほとんどいない状況が続いていますから、人口移動は沈静化したまま推移するはずです。 しかし、1980年代と1990年代後半以降には地方圏からの転出超過が再び拡大しました。この人口移動は潜在的他出者の規模からは説明できません。このことは直系家族制規範のもとで後継ぎに相当する者まで地方圏から流出するようになったということを意味しています。 潜在的他出者仮説の有効性を検証した私の研究からも、1960年代生まれの世代以降、潜在的他出者の規模以上の人口流出が地方圏全域で発生していることがわかっています(*3) 。少なくとも親との同居・近居規範という面で、直系家族制規範はこれらの世代から明確に弱まることになりました。 ---------- (*3)丸山洋平『戦後日本の人口移動と家族変動』文眞堂(2018年1月発刊予定)
最近の人口移動の問題と対策の視点
最近の地方圏からの転出超過は高度経済成長期よりもずっと少ないのですが、後継ぎ要員まで大都市圏へ流出したままで地元に戻らなくなるという、移動者の家族属性から見た質的な変化が起きています。これにより、地方圏の人口再生産構造は大きく崩れることになりました。 日本全体では未婚化・晩婚化が進み、少子化の状態にあります。少子化は親世代人口よりも子世代人口が少なく、人口の再生産ができない状態を指しますが、最近の地方圏からの人口流出はこうした状況をより深刻なものにしています。この点が、多産少死世代の人口移動と少産少死世代の人口移動との違いであり、人口移動がもたらす地方圏の地域社会への影響の違いです。 また、こうした人口移動の質的な変化の結果として、地方圏には近くに自分の子どもが一人も残っていないような高齢の親だけの世帯が増えることとなりました。人口移動を媒介にして家族の形が変わってきたのです。きょうだい数の減少、後継ぎの子の大都市圏への流出、さらには子世代の未婚化・晩婚化によって、家族を形成するための条件は変わりました。 ですが、家族に対する人々の考えや規範は、そう簡単に変わっていきません。例えば老親扶養の考えは今でも根強いものがあります。しかし、親の面倒は子どもが見るべきであると思っていても、いまや「田舎の両親の面倒を見てくれる長男」はいません。既に大都市圏に居住している自分が遠くはなれた場所に住む親の世話をしなければいけない、でもどうやって。少産少死世代の地方圏出身者は、こうした葛藤を抱えやすくなっており、その一部が介護離職などに結びついてしまっているのではないかと推察されます。 地域経済を考える上では、生産・消費の担い手が減るという意味で、人口の量的な減少が問題視されます。もちろん、そうした視点で議論することも必要ですが、地域社会の持続可能性を考える上では、人口移動の質的な変化およびその結果としての地域社会の世代間バランスの変容にこそ問題の本質があるのではないかと思います。 こうした問題に対し、流出してしまった後継ぎ要員を地元に呼び戻して、以前のような地域社会の姿を取り戻そうとしても無理な話でしょう。地方圏からの流出を抑え、Uターンを増やすための取組みは継続すべきですが、親世代よりも子世代の人口の方が少ないという状況を前提として地方圏の地域社会のあり方を考える必要があります。 これまで家族・親族のネットワークの中で行われてきた無償の奉仕の外部化、社会サービス化をより強く進めなければならないでしょう。もちろん、そのサービスの担い手が不足しているという問題もありますから、元気な高齢者や女性が無理なく活躍できる環境の整備も同時に進めていくことが求められます。こうした一連の仕組みが整い、上手く機能するようになれば住民の生活満足度が高まり、その様子を見て移住者が増えるという好循環にもつながるかもしれません。 ---------- 丸山洋平 慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科後期博士課程単位取得退学、博士(学術) 新宿自治創造研究所非常勤研究員、慶應義塾大学特任助教などを経て、2015年4月より福井県立大学地域経済研究所特命講師 専門は地域人口学、人文地理学、家族社会学