関口涼子のフランス語勉強法「泥縄式で『自分はできる』と思い込むことです」
「できる」と思ってやってみる
向こう見ずなタイプなので、私の勉強法はあえていうなら「泥縄学習法」。たとえば、香りに関する本をフランス語で出しましたが、私は45歳になるまで1本も香水なんて持っていませんでした。ところが、誕生日に友人たちからプレゼントされた香水をすごく気に入って、香りの世界を探求したくなったんです。 でも、香りの分野というのは科学的な知識も必要で専門性が高いので、香水に詳しいジャーナリストでもなかなか手が出せないところでもあります。それでも、私はまず香りについての本を読んで、調べて、そこで「いいかな」と思って書きはじめてしまいました。「書く」ことと「読む」ことは繋がっているので、あるテーマについて本をたくさん読むことで、自然とそれに関する語彙が身に付きますよね。 実はいま、ベネツィアの出版社から「ベネツィアに関する本を書いてほしい」という依頼がきたので、それに取り組んでいます。書くのはフランス語ですが、資料を読んだり、インタビューしたりするのはイタリア語で頑張っています。 10年前にヴィラ・メディチ(フランス国家が支援するアーティスト・イン・レジデンス)に招聘され、1年間ローマで暮らしていたことがあるのですが、私のイタリア語は初級レベル。だから、私がたどたどしいイタリア語で現地の書店員さんに「本を書くために、こんな本を探しています」と言うと「あなたのイタリア語で大丈夫なの?」という顔をされることもあるんです。 でも、そこで「自分は読めることになっている」と思い込むことが重要なんです。だってもし、この話がきたときに「私はベネツィアには詳しくないので……」と言っていたら、それで終わり。そして同じチャンスはもう二度と巡ってこないですから。
「外国語」だからできること
やはり、フランス語は自分の母語ではないので、日本語で書くときよりも時間がかかるし、サラサラっと書いたフランス語が絶対正しいと思える日は、おそらく一生こないと思うんです。簡単な文法でも何度も何度も見直して、人工的に正しい文章を作っていく。 日本語では書けないようなことも外国語だからこそ書ける、ということもあります。日本語は自分にとって近すぎる存在なので。家族には話せないけど、知り合い以上友達未満の人には逆に話せてしまうことってありますよね。それと同じ感覚です。 自分にとってフランス語は、長い夫婦の付き合いみたいなものです。よく知っているはずの旦那なのに、「そんなこと言うんだ」と驚きがあるように、この歳になっても知らないことが多いから外国語は面白い。これで「完璧」というのはないですよね。