大好きな納豆、片手で食べられず「幸せ濁った」 高校生が自助具開発 高評価も嬉しいけど…飽くなき探究心
片手でも何でもできる世界にしたい
一方、自助具がなくても、一時的な怪我であれば、誰かの力を借りながらであれば、納豆を食べることはできたはずです。 それでも原さんが自分ひとりで食べるための「自助具」の制作にこだわったのには、「自分でできる達成感が生きがいにつながる」という思いがあったからだといいます。 「片手生活を自分で経験してみると、だんだんと親に頼むのも気が引けてくることに気がつきました。『私のドジのせいで……』って申し訳なくなってくるんです」 「大好きな納豆を食べて幸せになろうと思っているのに、幸せが濁っていくように感じました」 自分の体験から、日常的な困り事を抱えている人は、「誰かに頼まないといけないからもう何もしたくない」という無気力につながることもあるのではないか考えたそうです。 「片手での生活でも、何でもできる世界にしたい」と考えたといいます。 原さんは今後大学に進学し、「開発者だけではなく、困っている人と一緒に考えるユニバーサルデザインを目指したい」と、建築やデザインを学びたいと考えているそうです。