考察『光る君へ』20話 中宮(高畑充希)が髪を切り落とした重大な意味、ききょう(ファーストサマーウイカ)の衝撃はいかばかりか
慕い合っている夫婦の絶望
隆家が花山院に矢を放ったことを認めるが、呪詛については無実を訴え、帝に取りなしていただきたいと頭を下げる伊周の願いを聞き入れ、道長は中宮・定子をひそかに一条帝に会わせる。 月明りに照らされた登華殿で、向き合う帝と中宮。帝の揺れる心が伝わり、塩野瑛久はいい俳優だなあと唸った。思いがけず愛しい妻に逢えた夫としての喜び、勅命を破り中宮が内裏に上がっていることへの帝としての怒り、后の懇願を受け入れてはならないと意志を保とうとする表情、しかしやはり定子が愛しくてならぬという情熱。上手い。 塩野瑛久の繊細な演技で表現される一条帝と、高畑充希演じる定子の気高さ。あんなにも仲睦まじかった、今もこんなに慕い合っている夫婦の絶望……美しくも悲劇的な場面だった。
中宮が自らの髪を!
伊周と隆家は死罪を免れ、伊周は大宰権帥(だざいのごんのそち)、隆家は出雲権守(いずものごんのかみ)に任ぜられて、それぞれ九州と島根に赴くことになった。任官なので左遷だが、為時や宣孝が国司になったのと違い行政権などを持たない状態なので、ただ現地にゆくだけ。台詞のとおり実際は流罪である。 そして思惑どおり、斉信は参議に昇進した。 清少納言(ファーストサマーウイカ)の身を案じて、里に下がらせる定子。清少納言は中宮の前では明るく振舞っていただろうが、彼女が嫌がらせを受けていることに中宮は気づいていた。自分の中宮としての立場、家自体明日をも知れぬというのに、主としてお互いに無二の存在として、清少納言を案じる定子の思いが尊い。 しかし、清少納言は離れたらその分、中宮様が気がかり……そこから、まひろ&ききょうで平民に身をやつし、まさかのアンブッシュ。 コントみたいなふたりの姿と、隆盛を誇った中関白家の屋敷門が、勅許により破られる緊迫感とのギャップがすごい。 絶対に大宰府になど行くものかと駄々をこねる伊周と「私は出雲に参ります」と立ち上がる隆家の兄弟の差もすごい。 出立の決意をし、ただ泣きぬれる母・貴子に向かって笑顔を見せ、 「おすこやかに!」 潔く駆け出る隆家……貴公子としての矜持を見せて格好いいので忘れそうだが、そもそもこの大事件の発端は、彼が放った一本の矢である。 うろたえて走り逃げる伊周、ついに土足で踏み込んでくる検非違使。 しかし、彼らを従えているのは検非違使別当・実資だ。貴子や定子に無体な真似はしないだろうという安心感がある。秋山竜次を目にして安心するようになるなど、我ながらびっくりだ。ここまで実資像を積み上げてくれた、演じ手の秋山竜次と制作陣に感謝したい。 そして検非違使の隙を突いて、中宮が自らのお髪をひと房、切り落とす! 「自死するかと思ったが、なぁんだ髪を切っただけか」ではないのだ。この時代、女性が髪を切ることは落飾、出家することを意味する。それは世俗との関わりを一切断つことだ。しかも、高貴な女性……帝の后の出家であれば、本来なら格式に則った儀式により行われる。このように発作的に髪を切り落とすのは、社会的な死を選んだのと同じである。 心からの忠誠を捧げた中宮様の、いわば自刃の瞬間を目にしてしまった清少納言……ききょうの衝撃はいかばかりか。 帝の唯一の后という立場から一転、奈落の底まで叩き込まれた定子は、はたして救われるのか。 次週予告。まひろが船に乗っている! 広々とした景色、ロケはいい。尼姿の中宮様、帝の慟哭。同じロケでも、ものものしく武官に囲まれた牛車。「母の同行はまかりならぬ」逸話に残る場面が実写化されるのか……そして「春はあけぼの」!ついに枕草子が生まれる! まひろと道長にまだ抱擁の機会があったなんて。越前編スタート、松下洸平が登場しますわよ、皆様。 第21話も楽しみですね。 ******************* NHK大河ドラマ『光る君へ』 脚本:大石静 制作統括:内田ゆき、松園武大 演出:中島由貴、佐々木善春、中泉慧、黛りんたろう 出演:吉高由里子、柄本佑、黒木華、吉田羊、ユースケ・サンタマリア、佐々木蔵之介、岸谷五朗 他 プロデューサー:大越大士 音楽:冬野ユミ 語り:伊東敏恵アナウンサー *このレビューは、ドラマの設定(掲載時点の最新話まで)をもとに記述しています。 *******************