“たまたま”が重なってドラ5で広島入り…巨人の大投手を真似てフォーム改造した小林敦司さんのいま「プロ野球選手だったという実感がない」
巨人・斎藤雅樹を真似てサイドスロー転向
プロ入り後、なかなか結果が出なかった。この頃、カープは自前で有力選手を発掘、育成すべく、ドミニカに「カープアカデミー」という野球学校を設立したばかりだった。小林のプロ入りとほぼ同時に誕生したアカデミーに、「第一号」として派遣されることが決まった。 「僕ともう一人、ドラフト外で入った選手と2名が派遣されることになりました。一応、第一号ということで行ったんですけど、到着してすぐに洪水になってしばらく練習ができませんでした。それに、現地に着いてすぐに胃腸炎になってしまって、ドミニカではほとんど野球をやっていないんです(苦笑)」 プロ2年目となる92年、右ヒジを痛めた。本人曰く「それ以降は何をやってもダメな状態」が続く。プロ3年目を迎えた。高卒入団とは言え、そろそろ結果が求められる頃だ。そんなある日、小林にとっての転機が訪れる。 「この頃は、“このままでは戦力外だ”という思いが強くなっていました。いくら投げてもストライクが入らない。球は遅いし、コントロールも悪い。そんなある日、当時大活躍していた斎藤雅樹さんの真似をしてサイドスローから投げてみたんです」 当時、読売ジャイアンツのエースだった斎藤の投球フォームを真似して投げてみると、自分でも驚くほど手応えを感じた。ある日の居残り練習で投球練習をしていると、ピッチングコーチもまた絶賛した。 「古沢憲司さんがピッチングコーチで、今はオリックス一軍ヘッドコーチの水本(勝己)さんがブルペンキャッチャーだったんです。2人の目の前でサイドスローで投げてみたら、“なかなかいいぞ”ということになりました。僕としても、“このままではどうせクビになるんだから、ぜひ挑戦しよう”と本格的に取り組むことにしました」 サイドスロー転向後、懸案だったコントロールが安定し、球速もかなり上がった。何も失うものがなかった当時の小林に、ようやく希望の光が差し込んだのだ。