「元は高知が発祥なんだよ…」ことし70年目の「よさこい祭り」アレンジ自由で全国に拡大
本番まで残りわずか、踊りに磨きがかかってきた。70回目の今年も「全力で頑張る」と力を込める。 ▽当初は日本舞踊を取り入れた盆踊り 第1回のよさこい祭りは1954(昭和29)年8月に開かれた。戦後復興の意味合いだけでなく、8月に買い物客が減る高知市内の商店街を活性化しようとの思いもあり、高知商工会議所などが企画。21団体・約750人が参加した。 「子ども心に祭りを成功させなければいけないと使命感があった」。高知市のはりまや橋商店街で和装店を営む桑名真紀さん(82)は第1回に踊り子として参加した。隣県・徳島には全国的に有名な阿波おどりがあり、桑名さんも母親に連れられて行ったことがあった。「高知でもこんな祭りがあったら」と思っていたところに、よさこい祭りの開催が決まった。 当初の「よさこい鳴子踊り」は日本舞踊を取り入れた盆踊り的なもので、大きな特徴と言えば農作物に近寄る鳥などを追い払う道具「鳴子」を両手に持ち、曲に合わせてカチカチ鳴らすことだった。桑名さんは「得意の踊りをお見せするのは楽しく、祭りは盛り上がった」と話す。
鳴子踊りを創作した作曲家の武政英策(1907~82年)は「曲と踊りを変えてもらって構わない。民衆の祭りだから」とアレンジを容認した。これが踊りの多様化へとつながる。ペギー葉山さん(故人)が歌う「南国土佐を後にして」が全国ヒットした1959年の第6回から正式の踊りだけでなく新作も歓迎したため、工夫を凝らした踊りが次々と登場した。1970年の大阪万博では「日本の祭り10選」に選ばれ、会場で踊りが披露された。 ▽経済効果は96億円 その後、参加チームの踊りはダンス的な様相を強め、衣装もカラフルに。トラックを改造し、音楽を流して踊りを先導する「地方車」は装飾が豪華さを増した。2003年の第50回の踊り子は約2万人に上った。 経済効果は2017年の第64回が96億円と試算されている。祭りへの参加に全くルールがないわけではない。(1)踊り子の人数は1チーム150人以下(2)鳴子を持って前に進む踊りであること(3)踊りに使う曲は自由だが、「よさこい鳴子踊り」のフレーズを入れる(4)地方車を1チーム1台用意する―がルールだ。