60歳目前、一田憲子さんが考える“人づき合い”。人生後半戦は「薄くて淡い関係性でもいい」
相手に期待しすぎない。1人の孤独も楽しめる自分になる
――歳を重ねて生活のフィールドが変わってくると、意図しなくても人間関係が小さくなるから「あれ? 今日人としゃべってないな」みたいなこともありそうですよね。だから、逆に人から求められたり、声をかけられたりすると、ちょっとうれしくなるような気がします。 一田:案外みんな交流を求めてる。声かけひとつで向こうも喜んでくれるかもしれないです。だから、久しく会ってない人に、「あなたを覚えていますよ、忘れてないですよ」と石投げするだけでもいい。「元気ですか」ってメールする、そういう薄くて淡い関係でも、いいんじゃないかなって思うんです。 密な関係性は、相手への期待値が高くなりがちで、そのぶん落ちこんだり、モヤモヤするしたりすることも増えるじゃないですか。ただ、密な関係性を求め過ぎない一方で、自分1人で生きる孤独感や自立心は、片方の手で持っておく。自分で自分の孤独を処理できないと苦しくなっちゃうと思うんですよね。 ――さびしさを自分のなかで処理できるような人間にならなくちゃいけない、と。 一田:友達をつくるために無理して誰かに近づいても、さびしさって簡単には解消されないと思うんですよね。周りを見たら、誰もが親友がいて、友達が多そうに見えるけど、無理をして関係性をつくろうとすると苦しい。それなら「みんなきっと1人なんだよ」とか「そんなに友達多いわけじゃないんだよ」とか、「友達が少ないぐらいが普通だよ」と、友達が少ない今の自分を肯定したほうがラクになれるんじゃないかなと思います。
壁にぶつかったら斜めにジャンプしてみる
――年齢とともに気力も体力も、人間関係にも変化が生じ、今までどおりではなくなることに怖さを感じる機会も増えきます。ただ、それを覚悟して自分で受け止めなくちゃいけないですね。 一田:人それぞれ歩んできた道も違うから、歳のとり方や受け止め方も違うと思いますが、まっすぐ進んで答えが見つからなくなったら、その都度、いろいろ実験してやってみる。そして、そのプロセスを楽しむのもいいと思うんです。 ――トライ&エラーの繰り返しですね。 一田:人生っていつまで経っても知らないことだらけ。その歳になって初めてわかること、見えてくることって、たくさんあるし。今まで求めてきた正解だけじゃ解決できなくなってくる。だからがんばるんじゃなくて、寝る、とか。 ――がんばるんじゃなくて、寝る(笑)。これまで「正解」と思っていた道以外を見つけていく、ですね。 一田:今までとは違うメモリのついたものさしを持てば、これから先いくらでも違う道は見つかると思うんですよ。まっすぐ進んでいたら壁にぶつかって、頭をドンドン打ちつけても壁は破れなくて。で、試しに違う方向にポンって飛んでみたら「あれ? 案外ラクだったじゃん」みたいなこともある。そんなの斜めにジャンプする方法を見つけられたら、これから先、めっちゃハッピーになれると思うんですよね。 歳を重ねることに「怖さ」を感じたら、これまでの生き方とは違う世界に目を向ける方法もあるよ、と軽やかに説く一田さん。見えない未来の不安の種を数えて、心を不安でいっぱいにするのではなく、自分がこれまで「正解」だった思い込みをいったん手放し、試しに斜めの方向にエイッとジャンプ! 不安や心配はゼロにはならなくても、自分が好き・楽しいと思う方向に目を向けていけば、心も体も軽くなる。歳をとることもまんざらでもないと思えてくるのかもしれません。
ESSEonline編集部