《不仲説を一蹴》菊川怜 明かしていた“最愛の恩師”小倉智昭さんへの“特別プレゼント”
一時代を築いた名キャスターが、また一人この世を去ってしまった。12月9日、小倉智昭さんが77歳で逝去した。 【写真あり】「人生で初めて」のプレゼントを贈った菊川 小倉さんは’99年4月の放送開始当初から、情報番組『情報プレゼンター とくダネ!』(フジテレビ系)の総合司会者を22年にわたって担当。歯に衣着せぬ語り口で人気を集めていたが、病魔と隣り合わせの生活を長く送っていた。 ’16年に膀胱がんを公表し、’18年には膀胱の全摘手術を受け、休養を挟みながらの番組出演だった。『とくダネ!』を勇退した直後の’21年10月、肺にがんが移転していることを公表。’23年には腎盂がんと診断され、同年12月に左の腎臓の全摘手術を受けていた。 直近では11月23日放送の『小倉ベース』(フジテレビ系)に出演し、都内の自宅で共演者とトークを楽しんでいた小倉さん。しかし報道によれば、直後に体調が急変し都内の病院に入院。今月4日に「治療の手立てはない」と宣告を受け、自宅に戻ってからは妻に看病されながら過ごし、9日午後に息を引き取ったという。 『とくダネ!』は同一司会者による全国ネットのニュース情報番組で、放送回数最多を更新するなど“お茶の間の顔”だった小倉さん。’18年9月には放送5000回を迎え、直前の記者会見では「ずっと司会者同士で仲が悪いと書かれ続けてきた」とぼやく一幕もあった。 しかし実際には、後輩から愛される人柄だったという。 初代サブ司会者を務めた佐々木恭子アナ(51)と現在はフリーの笠井信輔アナ(61)は、12月10日放送の『めざまし8』に出演し小倉さんとの思い出を懐かしんでいた。佐々木アナは「本当に大きくて、温かで、大好きな方です」と語り、笠井アナも「気遣いの人だった」と振り返っていた。
“名コンビ”として活躍した菊川怜が小倉さんに贈った誕生日プレゼント
小倉さんの後輩への思いやりは、’12年7月にサブ司会者として異例の抜擢をされた女優・菊川怜(46)に対しても変わらなかったようだ。 「小倉さんは当初、東京大学出身の菊川さんを“どうイジったらいいのか”と躊躇っていたようです。ですが菊川さんが卒業した時には、『毎日怜ちゃんが隣にいて、笑顔を見ると本当に救われた』と目を細めていましたね。 菊川さんも番組に出演してから1カ月経った頃、登壇したイベントで小倉さんについて『大きく受け止めて下さるし安心感があります』と信頼を寄せていました。共演を重ねるごとに2人の軽妙な掛け合いは人気を博し、“名コンビ”として認知されていったのです。 また、菊川さんは先月、’17年4月に結婚した実業家との離婚を発表しましたが、交際中から小倉さんに相談に乗ってもらっていたといいます。小倉さんも“一番にご主人を教えてくれた”と明かしており、菊川さんが結婚を発表したのも『とくダネ!』でした。当時、番組では垂れ幕が用意され、小倉さんが花束を贈呈していました」(テレビ局関係者) プライベートでも親交を深めていた小倉さんと菊川。一部で囁かれていた“不仲説”を、菊川が払拭しようとしたこともあった。 「菊川さんと小倉さんは、一緒にフィギュアスケートを観戦する約束をしていたことがあったそうです。しかし菊川さんは仕事の都合で行けなくなってしまい、代わりにやってきたのは、なんと菊川さんのお父様。小倉さんは菊川さんのお父様と2人でフィギュアスケートを観戦し、『娘が結婚できるよう頼みます』とお願いされたといいます。菊川さんは’15年4月に小倉さんと共演した特別番組で、“不仲説”が話題に上がった際、率先してこのエピソードを語っていました」(テレビ誌ライター) そんな菊川は、日頃の感謝の気持ちをプレゼントに込めたこともあったようだ。 『とくダネ!』が最終回を迎える前日の’21年3月25日のこと。同番組に出演した菊川は、小倉さんに誕生日プレゼントを贈った思い出を振り返っていた。 イベント好きだった小倉さんを喜ばせようと、「紙に『私とのお食事券』と書いて」と一緒に楽しめるプレゼントを考えたという。菊川は「人生で初めて。ほかにやった人いないですよ、プライベートでも。小倉さんだけです。手書きで。オンエアの前後とか楽屋だったと思いますけど」と語り、後日2人で食事に出かけたことを明かしていた。 小倉さんと過ごした日々について、「背中を見て学ぶことがすごくあった」とも語っていた菊川。“最愛の恩師”との別れは、あまりにも突然すぎた――。