ダ・ヴィンチは匂いフェチ! 「悪臭弾」から「香る」絵画まで、調香師としての意外な側面
レオナルド・ダ・ヴィンチが調香師としての一面を持っていたという事実は、フランス・アンボワーズ城で9月15日まで開催された展覧会「ルネサンス期のレオナルド・ダ・ヴィンチと香水」で紹介された。なぜダ・ヴィンチが調香師としてのキャリアを積んだのか。ハーグ美術館とアムステルダム自由大学で働き、20年以上にわたって香りと芸術の関係性について研究するカロ・フェルビーク博士はIFLScienceで、「ルネサンス期、つまりダ・ヴィンチが生きた時代には、香りは日常生活に欠かせないものだったからです」と説明する。 フェルビークによると、ルネサンス期の街角には、ジャスミン、バラ、アイリスといった今でも人気の高い香りから、ビターオレンジやアーモンド、そして土っぽい臭いのナルコユリなどの今日ではあまり心地よい香りとは考えられないものまで、様々な芳しい香りが漂っていたという。洗濯にはラベンダー(洗濯を意味するイタリア語lavareの語源となった)の香料が使われ、上流階級のディナーパーティーでは、香水を空間に拡散し、ナプキンをオレンジブロッサムなどで香りづけしていた。 そして、当時の最も重要な香水の用途は、「命を救う」ことだった。フェルビークは、「当時の人々は、悪臭がペストなどの病気の蔓延の原因であると信じていました」と話す。そのため、香水はこれらの病気の予防や治療、悪霊払いのために使われていたのだ。ダ・ヴィンチは、そういった用途の香水を作成し「薬効のある香り」と呼んだ。 一方で、ダ・ヴィンチが「不快な臭い」と言う意味の「odori sgradevoli」と名付けた香水がある。それは、犯罪者を追い払うためのもので、尿と人糞をガラスの瓶に入れ、一ヶ月間堆肥の山の下に置いておくというレシピだ。フェルビークは、「それは一種の『悪臭弾』として使用することができました」と説明する。 ダ・ヴィンチが調香の世界に足を踏み入れたのは、ごく自然なことだった。フェルビークは、「彼は、動物や植物などあらゆる生命に魅了されていました。彼はそれらを細かく研究し、単に描き止めるだけでなく、それらの香りについても研究していました。ダ・ヴィンチは香水を抽出する装置も所有しており、もともと好奇心旺盛で実験好きだった彼は、自分の香りを生産し始めたに違いありません」と話す。また、画家であったということも大きな要素だ。ルネサンス時代の画家たちは、顔料やニスなどの画材をファルマチア(薬局)で購入することがよくあった。その中には樹脂やゴムなど香水の材料としても使われるものがあり、また香水の材料も売り場に並んでいたため画家たちはそれらに親しんでいた。 フェルビークによると、ダ・ヴィンチは絵画をも香らせていたという。例えば、ダ・ヴィンチの弟子が彼の監督の下で制作した《Donna Nuda(裸のダナ)》は、最近の分析によると、もともとは「雨上がりの森」のような香りがしていたという。同様に、ダ・ヴィンチの名作《白貂を抱く貴婦人》は支持体に使ったクルミ材の香りがしていたことが最新の研究で明らかになっており、2024年にポーランドのクラクフ国立美術館で開催された展覧会では、絵画を見ながら鑑賞者がその匂いを体験出来るよう香りのペンを用意した。 これまでダ・ヴィンチの調香師としての一面が注目されてこなかった理由について、フェルビークは「歴史的に嗅覚は『下等な』感覚と考えられ、子どもっぽい、原始的な、非知性的なものとされてきました。その結果、レオナルドの嗅覚に関する研究は、彼の素晴らしい芸術作品や科学的な作品、著作に比べると、常に軽視されてきたのです」と分析する。だが今回の展覧会を通して、「この新たな分野への関心が高まっていることを嬉しく思います」と彼女は言った。
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