「103万円の引き上げ問題 政治の役目は『誰がどう負担するか』という割合の調整だ」稲垣えみ子
元朝日新聞記者でアフロヘアーがトレードマークの稲垣えみ子さんが「AERA」で連載する「アフロ画報」をお届けします。50歳を過ぎ、思い切って早期退職。新たな生活へと飛び出した日々に起こる出来事から、人とのふれあい、思い出などをつづります。 【写真】駅のホームから見えた秋空はこちら * * * 国民民主党が求めている、所得税がかかる年収の最低ライン「103万円」の引き上げ問題について、意見を書く。 税金とは、「自分」が稼いだお金の一部を「みんな」のために使ってもらうための制度だと私は理解している。みんなのため……例えば子育てを支援したり、ゴミを収集したり、災害で壊れたインフラを直したり、高齢者の生活を助けたり。つまりは、自分で稼いだお金は「自分のため」にも使うし「みんなのため」にも使う。この二つがセットになって、初めて自分と社会の幸福が成り立つ。 ただ問題は、この「みんなのため」のお金を誰がどう負担するのかってことで、ここが難しい。みな一律の割合で払うのか、それともお金持ちほどたくさん払うのか、あるいは個人より企業がたくさん払うのか──つまりは何が「公平か」。ここは考えが分かれるところでしょう。思想や文化の問題といってもいいかもしれない。そこを話し合い、調整し、説得するのが「政治」だと私は思う。 しかしいずれにせよ「みんなのため」に使うお金は必要だ。だってもしそうじゃなかったら人生に何が起きようが全部自分で何とかしなきゃいけないことになる。自分で稼いだ金なんだから全部自分で使えたらいいのにぃーって誰もが一度は考えたことがあると思うが、もしそうなったらそれは究極の自己責任、弱肉強食社会。能力なきもの、運の悪いものは飢えて死ねと。それって幸せかどうか以前にめちゃくちゃキケンです。仮に「勝ち組」になったとておちおち外も歩けない。そんな社会は誰も望まないはずだ。 つまりは何が言いたいかというと、政治がしなきゃいけないのは「誰がどう負担するか」という割合の調整であって、トータルの税金(=みんなのためのお金)を減らすことじゃないでしょと私は思うのだ。今の制度が公平じゃないなら、取りすぎているところを改め、同時に取られなさすぎているところも改めねばならない。反対はあるだろうがそれを汗をかき説得するのが政治の役目なんじゃないか。 いながき・えみこ◆1965年生まれ。元朝日新聞記者。超節電生活。著書に『アフロ記者』『一人飲みで生きていく』『老後とピアノ』『家事か地獄か』など。最新刊は『シン・ファイヤー』。 ※AERA 2024年12月9日号
稲垣えみ子