100年の生涯を経て考える、美術家・篠田桃紅が人類に遺した「壮大な問い」
「希望どおりにいかないのが現実。だけど思い出は、悲しかったことでも、楽しかったことでも、“ある”ということがとてもいいことだなと思いますね。」自由闊達かつ独創的な筆遣いで植物や天候の移ろい、人の感情を表現し数々の作品を生み出した美術家・篠田桃紅。そんな彼女を育んだ、特異な生い立ちとは。 【漫画】死刑囚が執行時に「アイマスク」を着用する衝撃の理由 大正デモクラシーから震災、空襲を経て現代に渡る自身の生涯をエッセイとともに綴る『これでおしまい』(篠田桃紅著)より一部抜粋してお届けする。 『これおしまい』連載第10回 『美術家・篠田桃紅の作品の糧となった「絶景」…大自然と墨絵の「意外な共通点」 』より続く
100年を振り返って
「この世に生を受けて、幼少期から現代まで、私の場合は一世紀ある。人間の歴史は、毎日毎日の積み重ねと、外部からの、天災、戦争など人間個人ではどうすることもできないもの、それもガラリと変わるものでつくられているんだなと思いますね。 外界というもののなかで、人間が個人として、どうやって身を処してきたかということを考えると、運というものも大きいけど、個人の考え方も非常に作用していて、いろいろな状況のなかで駆けずり回ったり、這うようにしたり、また、ただ普通に歩いたり、そういうふうにしてつくられるのが一生だなと思いますね。 私は10歳のときに関東大震災に遭って、青春期は戦争で逃げ惑い、戦争などは人間が起こしているものだけど、個人ではどうすることもできず、そして死病と恐れられた肺結核に感染した。我が身が起こしたことというより、外部から押し寄せてくることに、どうにかして生きてきた。 個人として生きていくためには、自分で何かを持たなければならない。やれることをやって生きてきた。 人々がみな、無欲な生き方をすれば、地球の上はもっといいところになるだろうという説はこれまでありましたね。欲望というものを、みなが抑制して、食は飢えぬほど、衣は暑さ寒さに耐えられればいいと。欲望というものは果てがないから。きりがないから。