「清原正吾は野球をやめると思う」慶大の監督が激白…“ドラフト指名漏れ”から9日後、記者に語った後悔「覚悟あった。調査書が届きませんでしたから」
ドラフト直前の会見場で…正吾の言葉
父の薬物事件を機に中学、高校と野球から離れていた正吾は大学進学のタイミングで再び野球を始めることを決断した。高校3年の秋口に父と共に下田グラウンドを訪れ、堀井や当時の上田誠コーチにその意向を伝え、入学後、正式に入部が認められた。その日から、リーグ戦の行われる神宮球場で本塁打を放ち、そのボールを両親にプレゼントするという夢を胸に秘めた。 正吾が六大学の名門・慶應で「4番・ファースト」のレギュラーを掴んだのはこの春からだ。本塁打こそ放てなかったがベストナインに選出されると、秋のリーグ戦では重要な局面――明治戦での同点本塁打と東大戦での先制本塁打という2本塁打を記録した。 しかし、ドラフトが近づくにつれ、正吾は精彩を欠くようになっていった。 10月12日と13日に下田グラウンドで行われた東京ガス、NTT東日本とのオープン戦では、正吾のバットから快音が響くことはなかった。続く10月19日、20日のリーグ第6節・法政戦では計8打数無安打で2三振を喫し、低めの変化球にバットが空を切る度に球場全体から溜息が漏れた。チームも連敗して順位は5位にまで落ち込んだ。 視察に訪れたスカウトに良いプレーをみせたいという気負いがあったわけではないだろう。2三振した10月20日の法政戦後に会見場に呼ばれた正吾は、ドラフトに向けた感想を訊かれ、「特にありません」と素っ気なく答えただけだった。 ドラフトを前に慶應野球部は正吾に対するインタビュー取材の依頼をすべて断り、ドラフト当日も正吾が会見場に姿を現すことはなかった。指名漏れのショックがどれほどのものであったかは、正吾のグラウンドでの立ち居振る舞いやプレーを見て推し量ることしかできない。
ドラフト後の試合…清原正吾の様子
ドラフト会議から九日後の11月2日の試合。正吾の様子が違った。初回の第1打席でレフト前に単打を放ち、一、三塁にチャンスを広げて先制の足掛かりをつくり、第3打席ではインコースのボールを引っ張ってレフト前に。さらに二盗も決めた。そして4打席目には左腕投手の強いボールに逆らわずセンター前に運んだ。「センター返し」「リラックス」という父の教えを実践した3打席だった。 指名漏れの鬱憤を晴らすように正吾はグラウンドで躍動し、塁上の表情も明るく、曇天の下で目映い輝きを放っていた。 第4打席でヒットを放ったあと、堀井が動く。リーグ戦や練習試合でどれだけ結果が出なくても、4番ファーストで起用し続けてきた堀井が、正吾に代えて代走・延末藍太(1年)を送った。ホームグラウンドで行う最後の試合で、4年間の総決算のような打撃結果を残した正吾に対し、労いの意味を込めて交代を告げたように思えてならない。堀井はこの采配を次のように振り返った。 「そういう親心みたいなものもあったかもしれない。彼の頑張りというのは僕が一番わかっています。中学、高校と野球をやっていなかった彼がポジションを勝ち取って公式戦に出場し、プロ志望届を提出するまでの選手になった。ここまでこられたことが奇跡みたいなものなんです」
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