認知症の母、ダウン症の姉、酔っ払いの父…にしおかすみこが語る介護生活「図太くなりました」
『ポンコツ一家2年目』で家族の個性がパワーアップ
お笑い芸人・にしおかすみこの家族に関するエッセーが注目を集めている。今年9月に『ポンコツ一家2年目』(講談社)を出版した。この著書は、認知症の母親、ダウン症の姉、酔っぱらいの父との日々をつづった『ポンコツ一家』(2023年)の続編で、前作より深みが増して、パワーアップ。個性の強い家族とにしおかのドタバタ劇をユーモラスに描き、ネット通販の売れ筋ランキングで1位を記録したことも。読み物としての面白さに加え、「介護とは?」「家族とは何か?」を考えるきっかけの一冊でもある。もとは、21年に女性向け月刊誌『FRaU』のウェブサイトで実家での日常を描く連載をスタート。反響を呼び、瞬く間に人気連載となった。前作や新作は、連載に書き下ろしを加えた形で上梓されたが、ENCOUNTでは、“にしおか流”の介護や家族との向き合い方について話を聞いた。(取材・文=福嶋剛) 【写真】にしおかすみこ、インタビューショット ――著書では家族への愛情と自虐を込めて「ポンコツ」という表現を用いています。家族の赤裸々な日常を書くことに不安や葛藤はありましたか。 「めちゃくちゃありました。私は愛を持って家族を『ポンコツ』と書いていますが、これがもしウチの家族だけでなく、認知症の方や障がいのある方、支えていらっしゃるご家族の方が自身のことをポンコツだと思われたらどうしよう。もっと柔らかい優しい言葉にするべきか。でも私の書く日常はきれいごとではない。それと、症状や障がいに関して誤解もされたくないので、絶対に誇張もしたくない。その妥当な線が私の中では『ポンコツ』でした。本文も同じ気持ちで挑んでいます」 ――連載や書籍化を通して、介護や家族に関する気付きや学びはありましたか。 「いや~いまだに気付く余裕もなく、毎日バタバタ、ジタバタと過ごしています。次から次と何かが起こるんです。1年1年私も含め家族皆、それなりに老いていってます。でも何故か1冊目よりも2冊目の方が、母姉父3人の個性がパワーアップしています(笑)。それに伴い私は経験値が上がって、ずいぶんと図太くなりました(笑)」 ――著書にはその日の出来事や家族の言葉もしっかりと記されています。 「4年前に実家に戻ってから、さまざまな出来事や会話はスマホのメモに残しています。特に家族のセリフは忠実に。母や姉が言ってもいないことを書くのは嫌ですし、認知症やダウン症の方々がこんなことを言うのかと誤解されるのも嫌です。でも、私自身がすごく疲れてメモを取らない日々が続くこともあります。それは振り返ったとき、事実がぼやけてしまっているので連載には書きません。無理はしません」 ――皆さん、個性の強いキャラクターは昔からですか。 「そうだったと思います。父はサラリーマンでしたけど、昔からお酒をすごく飲む人で、給料のほとんどをお酒に使ってしまっていました。姉は昔から家族の中で一番優しかったですね。母が一家の大黒柱で看護師として働いてくれて、生活を切り盛りしながら、私と姉を愛情深く育ててくれました」 ――にしおかさんはどんな子ども時代を過ごしましたか。 「どこにでもいる普通の子でした。可もなく不可もなくみたいな(笑)。母が、姉と私の個性をすごく探して大事にしてくれたんです。姉は絵が上手だったり、創作ダンスや歌も、好きなことややりたいことにあふれていたように見えました。なかなか個性が見つからない私は、それをいいなあと思ったり、たまにすねたりもしていた気がします(笑)」 ――どちらかというとおとなしかった方なのですね。では、タレントを目指そうと思ったきっかけは。 「おとなしいとも、ちょっと違いますかね。気持ちのどこかに、目立ってみたいとか、人気者になってみたい、あとお金持ちになってみたいという思いが漠然とありました。昔から貪欲さはありました。で、20歳のときに雑誌のオーディションに応募して受かったのがきっかけでした」 ――芸能界に入ることをご両親はどう思っていましたか。 「母は反対していました。『あんたがやっていける世界じゃない』っていうのもありましたし、ずっと心配したり、その延長で怒ったり、『そのうちダメだと思って諦めるだろう』と放っておいてくれたりでした」 ――お父さんはどんな反応でしたか。 「何も言われたことはないです。一切ブレることなく、お酒を飲んでいました(笑)」 ――ピン芸人としてSM女王様キャラのネタでブレイクし、その後も、タレントとして忙しい毎日を送る中で、久しぶりに実家に立ち寄ってみたところから現在の生活が始まり、連載がスタートしたそうですね。 「2020年のコロナ禍でもともと少なくなっていた仕事がゼロになったんです。住んでいた都内のマンションの家賃が払えなくなって、もっと安い物件を見つけて引っ越す準備をしていた頃に、そういえば実家はどうなっているかなと思って様子を見に行った感じです。久しぶりの実家はちょっとしたゴミ屋敷みたいでした。びっくりしました」 ――すると、大黒柱のお母さんの認知症が始まっていたことが分かり、にしおかさんはそのまま実家で3人を見るようになりました。 「当時、私に認知症の知識がほぼなかったので、何か変だ、何かが母の中で起きているくらいだったと思います。もともとネガティブな発言をしない母が『頭カチ割って死んでやる』と言ったり、同じ言動を繰り返したりだったので心配でした。介護という感じではなくて、多分、私がいたほうがいいんじゃない? くらいの、全く腹をくくらずに実家に戻ることを決めました」 ――その後の、まるでドラマのような家族とのドタバタ劇は著書に詳しく書かれています。介護は大変だったと思いますが、仕事と介護の両立は、肉体的にも精神的にも大きかったのでは。 「私は『自分ファースト』です。自分が一番元気で幸せであることが大事だと思っています。私が病んだら、家族を幸せにすることもできません。現在、まだ母はどこかで迷子になったり、寝たきりということでもないです。危なっかしいことは日常茶飯事ですが、私は見守る、或いは放っています。それでもなかなか仕事との両立はしんどいです(笑)。生活費を稼がなければもありますが、私は仕事が好きです。日常の混乱でどうしたらいいかわからなくなることもありますが、好きなことはやります。私の人生ですから」