現代日本人に「時」は重要―0.1秒で乗客を捌くSuicaはどのように生まれた?
「非接触式」のICカード
鉄道における自動改札は1967年に阪急北千里駅で始まり、70年代初頭から本格的に使われ出した。 当時の駅の入場改札口では、2つの通路の間の島状のブースに専用のハサミを利き手に持った駅員が立ち、反対の手で乗客から切符を受け取ると、瞬時に切符の端を角型(エリアによって形が決まっていた)などに切り取って、乗客の入場を認めた。切符に切り込みを入れることで切符が使用開始になり、退場改札口では、使用された切符を受け取りながら、運賃の適正を判断し、不足がある場合には、差額を徴収していた。 しかし、60年代後半から鉄道を取り巻く経営環境は厳しくなり、最初に合理化の対象に挙げられたのが改札の自動化による人件費の削減だった。JRの前身である国鉄でも72年に常磐線柏駅でテスト運用をしたが、本格的に導入したのは何と20年近くのちの90年で、場所は山手線だった。70~80年代の国鉄では膨大な債務による資金不足と過剰要員が深刻になっていたことに加え、合理化に対する抵抗感が強く、自動改札機を導入できる状況ではなかったからだ。 だが、鉄道会社には、多額の設備投資を行ってでも自動化に取り組みたい理由が、もう1つあった。不正乗車の根絶による運賃の完全徴収だ。JR東日本を例に取れば、90年における徴収漏れは、年間約300億円に上ると試算されていた。 最初の自動化では、「省力化」に重点が置かれ、磁気で情報が書き込まれた切符を使用したため、自動改札機は、記載された利用区間、通用期間、経由地程度の情報を読み取り、「通して良い乗客」か「止めるべき乗客」かを判定するだけだった。 それでも、自動改札機の摩耗や故障が大きな問題だった。切符が投入口に挿入されると、自動的に搬送され、磁気ヘッドが接触して読み取りと書き込みを行うため、搬送の制御など周辺機構部分が複雑になる上、機械の読み取り間違いや券詰まりなどのトラブルが発生した。しかも、相互乗り入れが進んだために切符に書き込まれる情報は格段に増え、連絡駅の多い首都圏の交通網では、切符での対応が難しくなってきた。 自動改札が鉄道システムに大きな威力を発揮するようになったのは、磁気式カードの導入からだ。磁気式カードでは、情報(読み取り、判定、書き込み、確認)処理に約0.7秒を要したが、カードの挿入口と放出口の距離が約1.1mあったため、乗客は立ち止まる必要はなかった。 だが、本格的に使われ出すと、磁気式カードの欠点も露わになってきた。乗客は、設定金額を使いきるたびにカード自体を買い替えなければならない上に、カードに塗られた磁気が身の回りの磁気製品の影響を受け、磁気情報の一部が消滅するなどの問題も発生した。偽造カードも次第に増えてきた。 保守管理面で深刻な問題は、カードが装置と直接に接するために、自動改札機の故障が多発することだった。残額の少ないカードと新品の2枚のカード投入処理など新たな対応策も講じなければならなかった。機器障害、異常券、券詰まりなどで挿入口のドアの閉まる確率は0.3%程度と想定していたが、87年の調査結果によれば、実際には3%にも達していた。