現代日本人に「時」は重要―0.1秒で乗客を捌くSuicaはどのように生まれた?
読み取り装置が傾斜している理由
一方、汎用性の高いICカードの研究は活発になり、ICの製造コストも下がってきたために2001年から流れは急速にICカードに変わった。ICカードは、IC(集積回路)を埋め込んだもので、磁気式とは比べものにならないほど多くの情報を収容できる上に、情報を簡単に書き換えることもできる。運賃の精算にとどまらず、さまざまな情報を書き込んでおくことによって、改札機が多くの情報を読み取ることが可能になった。 情報の書き換えには、外部端子を通じて行う「接触式」と無線や磁気で行う「非接触式」があるが、現在の交通系ICカードでは「近接型の非接触式」が主流になっている。 ソニーの「フェリカ」は当初、宅配便の自動仕分けに使用する非接触ICタグとして開発され、秒速20mの速度で移動する宅配便の荷物に付けられ、機械がタグの情報を瞬時に読み取って方面別に仕分けられていた。その後、97年に香港で地下鉄、鉄道、バス、路面電車、フェリー、ケーブルカーなどで採用され、一躍運輸業界で注目されるようになった。 だが、「非接触式」ならではの課題も浮かび上がった。「接触式」の磁気式カードでは、情報処理に約0.7秒を要したが、カードの挿入口と放出口の距離があったため、時間を稼げたのだが、「非接触式」は情報処理を一度にまとめて行うため、乗客の通過所要時間が障壁になった。 首都圏のラッシュアワーで許される乗客の通過所要時間は、カード1枚当たり0.2秒だが、当初の設計では最大0.9秒もかかった。そのため、時間短縮の改善策が加えられた。データを項目ごとに開いて処理するのではなく、最大8つのファイルを同時に開いて作業を行うことで0.1秒以内に収めることができた。また、乗り越し精算の所要時間を短縮するために、乗車の際に、予め仮の精算駅を書き込んでおくことで、0.15秒以内が実現できた。 そこで、JR東日本は、2001年に埼京線で1万人のモニターによる実験を実施したところ、読み取り装置から半径10cm以内に、カードを0.1秒未満しかかざさずに通過しようとする乗客が少なからずいた。そこで、読み取り装置の表面を平板から、斜めに傾斜をつけて盛り上げることで、乗客がカードを装置の前で確実に止めてくれるようになったのである。 すべての課題を解決したJR東日本は、このカードを「スイカ(Suica)」(スーパー・アーバン・インテリジェント・カードの略)と名付け、同年11月に東京圏424駅で一斉導入したのである。 鉄道駅一つをとっても、人口の多い日本ならではの課題、日本人の「せっかち」の習性を散見できる。日本人の生活に『時』は、重要なテーマなのだ。 ---------- 織田一朗(時の研究家)山口大学時間学研究所客員教授 1947年生まれ。71年慶應義塾大学法学部法律学科卒業。(株)服部時計店(現セイコー)入社。国内時計営業、名古屋営業所、宣伝、広報、総務、秘書室勤務を経て、97年独立。以後、執筆、テレビ・ラジオ出演、講演などで活動。日本時間学会理事(2009年6月~)、山口大学時間学研究所客員教授(2012年4月~) 著作:『時計の科学―人と時間の5000年の歴史』(講談社ブルーバックス)『「世界最速の男」をとらえろ!』(草思社)『時と時計の雑学事典』(ワールドフォトプレス)『あなたの人生の残り時間は?』(草思社)『「時」の国際バトル』(文春新書)『知ってトクする時と時計の最新常識100』(集英社)『時計と人間―そのウォンツと技術―』(裳華房)『時と時計の百科事典』(グリーンアロー出版社)『時計にはなぜ誤差が出てくるのか』(中央書院)『歴史の陰に時計あり!!』(グリーンアロー出版社)『日本人はいつから〈せっかち〉になったか』(PHP新書)『時計の針はなぜ右回りなのか』(草思社)『クオーツが変えた“時”の世界』(日本工業新聞社)など多数。