日米通算200勝のダルビッシュ、37歳で記録づくめの金字塔 直前で体脂肪3%減「若くなってきたかな」
◆米大リーグ ブレーブス1―9パドレス(19日・米ジョージア州アトランタ=トゥルイストパーク) 【動画】カッコよすぎる!ダルビッシュの力投!! パドレスのダルビッシュ有投手が19日(日本時間20日)、敵地でのブレーブス戦に先発。8回を投げて2安打無失点で今季4勝目を挙げ、日本時代の93勝とメジャー107勝を併せて日米通算200勝を達成した。日米通算200勝利は黒田博樹氏の203勝、野茂英雄氏の201勝に次いで3人目。全て先発で200勝達成は日本人初となった。ダルビッシュは7回を投げ9-0でリードの展開の中、球数99球で勝利投手の権利を持って降板。9奪三振1四球で、防御率は2・08となった。 節目を飾るマウンドを完璧に支配した。7回2死からアルシアを遊ゴロに打ち取りベンチに戻ると、シルト監督とガッチリ握手。許した安打は、初回オズナのバットを折った左翼線二塁打と2回のアルシアの内野安打だけ。3回2死からアクーニャに四球を与えた後、打者13人を連続で打ち取り、三塁を踏ませぬ内容だった。 「正直、実感はないですけど、200勝に届いたのでホッとしています」 首の張りによる負傷者リスト入りから4月30日に復帰後、自身初の4試合無失点で4連勝。MLB公式のサラ・ラングス記者によると、1901年以降で37歳以上で4試合連続無失点は、2005年のケニー・ロジャーズ(40歳)以来。球団では5イニング以上を投げて4試合連続無失点は初となった。4月14日の5回以降続く無失点イニングは、レンジャーズ時代の2013年4月に記録した18イニングを超え、自己最長の「25」に伸びた。 「色んな球を混ぜながら、相手のバランスを崩せた。スライダーにスイーパー、カーブも右バッターに投げましたし。カーブも速いの、中間、遅いのと3種類。色んな変化球、ブレーキングボールが、全体的に良かったと思います」 8種類の球種を操った99球が真髄だった。「そもそも成績を残すことより、色んな変化球を投げたい、こんな球を投げたいというのが、自分がやってきた動機になっている」。今季最多の9奪三振。オルソンから81マイルのナックルカーブで奪った最初の三振から、直球、スイーパーを勝負球に使い、最後は73マイル(約117キロ)のスローカーブで決めた。 2005年6月15日の札幌ドーム(広島戦)でプロ初先発初完投勝利。20年の歳月を経て、日本とアメリカをまたいで200個の白星を積み上げた。レンジャーズ時代は2013年にあと1人で完全を逃したこともあれば、2014年にはノーヒット・ノーランを逃したことも。「全部みんなで共同作業で積み上げてきたもの」と胸を張る。 転機は、プロ2年目に訪れた。2006年6月13日神宮でのヤクルト戦。4回表の時点で6―2とリードしていたが、右腕は4、5回に2点ずつを失い、7―6と1点差に迫られて4回3分の1で降板し、勝利投手の権利を逃した。「このままだと駄目だ。結局ズルズルいって一軍半になると思った」と、宿泊先の東京ドームホテルでサプリメント会社に連絡を取った。それまで自称「練習したくない人」が目覚め、栄養やトレーニングにも目を向けた瞬間だった。 2015年のトミー・ジョン手術のリハビリ期間も「トレーニングを1からやり直す意味で楽しかった」と振りかえる。4月に負傷者入りすると「体がしぼんできてるというか、なんか年を取ってきたかなと思ったので」と、携帯電話に残している2015年のメモを引っ張り出し、食事やサプリメントを見直した結果、2週間で体脂肪が3%落ちたという。「ちょっとは若くはなってきたので良かった」と笑った。 37歳を迎えて円熟味は更に増した。カブスとの6年契約を引き継いだパドレスは、昨年2月、2028年までの6年総額1億800万ドル(当時のレートで約140億円)の契約を更新。42歳まで現役が保証されている右腕は、次の目標を問われて「201勝です」と即答した。目指すべき投球スタイルは、あえて「ない」と言う。「相手によります。自分はこれだけ球種があるので、その都度、アジャストするのが、自分のピッチングなので。年齢もそうですし、野球のレベルも上がっているので、取り残されないように、勉強して練習したい」。探究心旺盛なベテランにとって、日米通算200勝の標石も、単なる通過点に過ぎない。
報知新聞社