巨人ドラ1の先輩から「お前がやれ」 まさかのコンバート…“レジェンド遊撃手”誕生の背景
篠塚は1975年ドラ1で巨人から指名…長嶋茂雄監督が挨拶に訪れた
宇野氏の世代が最上級となった2年秋も千葉大会決勝で習志野に0-5で敗れ、翌年選抜の夢も消えた。「甲子園に出たいがために銚子商を選んで、1年生の時は優勝しているけど、自分は行っていないし、何か考えるところはあったねぇ。自分が主力で出られないんじゃないかみたいなね。もうチャンスは(3年夏の)1回しかない。どうなの、みたいな……」。当時の銚子商は甲子園に出場するのが当たり前のようでもあっただけに、焦りも出て当然だろう。 そんな中、11月18日のドラフト会議で篠塚が巨人に1位指名された。1974年には土屋が中日から1位指名されており、銚子商から2年連続でのドラフト1位選手だ。「当時のドラフトは午前11時くらいに始まっていたから12時の昼前には校内放送がありましたよ。『篠塚選手は巨人1位です』ってね」。その流れで起きたのが千葉県出身の大スターでもある長嶋監督との夢の対面だった。 「長嶋さんが銚子商に(挨拶に)来るっていうからさ、みんな“いつ来るんだ、いつ来るんだ”ってなってね。そしたらさ、正面からセンチュリーがビュワーンって感じで来たんだよね。それで応接室に野球部だけ集まって訓示をいただいたんだよ」と宇野氏は今でもうれしそうに話す。「『俺も千葉県人だから、頑張ってほしい』みたいな言葉をもらった。いやもう、そりゃあ感激だよ。だってさ、あの長嶋さんが目の前でしゃべっていたんだよ」と声を弾ませた。 超大物の来訪で野球部全体が大いに盛り上がったのは言うまでもない。1975年春、夏と甲子園出場を逃し、1976年選抜出場もならなかったが、ミスタープロ野球による訓示は、ナインにとって大きな励みにもなったことだろう。宇野氏が3年生の1976年夏、銚子商は千葉大会を制して甲子園出場を果たす。最後のチャンスをつかんだ背景には、“長嶋効果”もあったのかもしれない。
山口真司 / Shinji Yamaguchi