江戸のマネー 今に通じるおかねの教訓と庶民泣かせのサムライ・ファースト
トランプ次期米大統領は「アメリカ・ファースト」を、小池百合子東京都知事は「都民ファースト」を訴えています。ところで、江戸時代は「何ファースト」だったのでしょうか? 江戸時代はもちろん「サムライ・ファースト」でした。しかし浪人も数多くいましたから「武家ファースト」、武家第一主義だったというべきかもしれません。戦国の世から大坂の陣を経て大規模な戦いは終わり、徳川幕府による元和偃武(げんなえんぶ)となり、武家第一の時代が250年以上続きます。ただし、武家は知行地の農民とともにありましたから、国全体の人口数からみると、武家・農民が第一だったということになります。
旗本のおかね事情と現在にも通用する『経済随筆』の教訓
徳川時代の武家第一は、節度があり、現代からみても見習うべき点が多々あります。しかし、「民は由らしむべし、知らしむべからず」という儒教の時代、庶民に対して情報公開はなされていませんでした。現代でこそ、徳川幕府や諸大名がどのような仕組みになっているのかがわかるようになってきましたが、当時は下々の者に知らせたり、下々の者が知ろうとするのも厳禁だったのです。 さて、旗本家のおかね事情についてみてみましょう。江戸時代は現代のような核家族ではなく、武家という「事業体」、この事業体をいかに運営し、継承していくか、「お家第一」の世界でした。代々旗本であった橋本敬簡の著した『経済随筆』という書き物があります。『お旗本の家計事情と暮らしの智恵』(小川恭一著)で詳しく紹介されているのですが、旗本・御家人という武家の指南書とも言うべき書物で、年間を通じての収入・支出というおかねの扱いから、冠婚葬祭、使用人や子弟の教育問題までも含めてまとめられています。 旗本家という「事業体」の規模には幅があります。敬簡は小姓組頭(職禄300俵)から與頭(ともがしら、職禄1000俵)まで出世した勝ち組です。収入の階級は10種で、具体的には70俵5人扶持、100俵、150俵、200俵、250俵、300俵、350俵、400俵、450俵、500俵とあるなかで、1000俵とはかなりの稼ぎだったと言えます。ただし旗本や御家人のお役目によって、家来や奉公人の種類や数も変わってくるので俵数だけでは一概に論じることは難しいかもしれません。 家計が苦しくなるのは、収入が限定される一方で、やむにやまれない支出があるためです。敬簡は先代からの資産を引き継いでいるのですが、自分自身の病気治療のためにおかねを使わねばならなかったため、家計が苦しかったそうです。同書の中では、 「病気や盗賊など万が一への備えとともに、使用人へのこころづかい、そして、計画的に支出を行うこと」が大切だとしています。一方、ケチと倹約とは異なり、 「お上から禄をもらっているからにはケチにならないように社交上必要な支出はすること」と細やかな点まで述べています。 また、「次世代の子どもたちの、おかね教育は早くからしておくべきである」とも述べています。江戸時代は米価と三貨制(金貨、銀貨、銭)があったため、現代よりも、しっかりとした金銭教育ができていたのではないでしょうか。