なぜ多くの人は「手段と目的」を履き違えるのか「よくある悲惨な実態」
わたしたちはいつまで金銭や時間など限りある「価値」を奪い合うのか。ベストセラー『世界は経営でできている』では、気鋭の経営学者が人生にころがる「経営の失敗」をユーモラスに語ります。 【写真】人生で「成功する人」と「失敗する人」の大きな違い ※本記事は岩尾俊兵『世界は経営でできている』から抜粋・編集したものです。 たとえば睡眠においても、しばしば人は部分的・短期的最適行動に陥る。 仕事が忙しくて、睡眠時間を削ったり、徹夜したりする場合がその典型例だ(実は私が今まさに徹夜でこの原稿を書いているのだが)。 徹夜で仕上げた仕事はミスが多くなる。 たとえば、原稿を書くという仕事であれば、「徹夜」という字が全部「哲哉」になっていたりする。「哲哉でこの原稿を書いている」という間違った文を見て哲哉という名前の青年を監禁し口述筆記させているマッドサイエンティストを思い浮かべたり、哲哉青年の髪の毛を縛って筆代わりにして原稿用紙に文字を書きなぐっている画狂老人卍的な人物を思い浮かべたりする。 そうして、仕事の細かなミスを修正しなければいけないのに、徹夜からくる高揚感で余計なことばかり考えてしまって仕事がいっこうに進まない。仕事が終わらないから今日もまた睡眠時間が足りなくなる。睡眠時間が足りないから……という悪循環におちいる。私は今まさに悪循環の最中だ。 飲食行為においても部分的・短期的利益優先型の全体的・長期的損失行動がみられる。 たとえば週にわずか一日でも休肝日を作るだけで肝臓の負担は減るというのに「今夜だけはどうしても飲みたい」という、どうせ明日も去来する感情に毎日身を任せてしまう。その結果、あるときにこれまで沈黙していたはずの肝臓が悲鳴を上げ、一生お酒を飲めなくなってしまったりする。 あるいはお金/時間がないからと、手軽かつ高カロリーで栄養価が低いジャンクフードばかりを食べてしまう。もちろん、短期的には安易に/安価に空腹感から解放されるジャンクフードには利益がある。しかしジャンクフードまみれの生活をしていると病気のリスクが上がり、やがては治療費が高くつく。 つづく「老後の人生を「成功する人」と「失敗する人」の意外な違い」では、なぜ定年後の人生で「大きな差」が出てしまうのか、なぜ老後の人生を幸せに過ごすには「経営思考」が必要なのか、深く掘り下げる。
岩尾 俊兵(慶應義塾大学商学部准教授)