「スコールにたたかれ白骨の一部が露出」…芥川賞作家が旧戦地で目撃した「無残な光景」
なぜ日本兵1万人が消えたままなのか、硫黄島で何が起きていたのか。 民間人の上陸が原則禁止された硫黄島に4度上陸し、日米の機密文書も徹底調査したノンフィクション『硫黄島上陸 友軍ハ地下ニ在リ』が8刷決定と話題だ。 【写真】日本兵1万人が行方不明、「硫黄島の驚きの光景…」 ふだん本を読まない人にも届き、「イッキ読みした」「熱意に胸打たれた」「泣いた」という読者の声も多く寄せられている。
コロナ禍で始めた「一日一硫黄島」
中国湖北省武漢市で原因不明の新型肺炎が拡大──。 そんな不気味なニュースが盛んに報じられるようになったのは、この時期だ。僕は自分とは何ら関係のない異世界の出来事のように思っていた。 しかし、突発的な社会事象への臨機応変な取材活動が求められる「遊軍記者」の僕は、この未知の疫病の国内最前線に身を投じることになる。武漢に滞在する邦人約200人を帰国させるために派遣したチャーター機が1月29日、羽田空港に到着すると、政府が発表したのだ。 到着直後の邦人一行を取材するため、羽田空港に向かうよう上司から命じられた。硫黄島に行かせてくれた職場の恩に報いたいという思いから、僕はあらゆる業務命令を受け入れようとし、実際にそうした。 夜明けの羽田空港に到着すると、到着ロビーの一角に大勢の報道関係者が集まっていた。帰国を果たした邦人のうち二人が取材団の質問に応じることになった。僕は二人が感染していないことを信じ、取材団の最前列で彼らの言葉を記録した。 その約3週間後の2月19日。僕は横浜港に群がる報道陣の中にいた。船内で未曽有の集団感染が起きたクルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」から下船する乗客の取材を命じられたためだった。 新型コロナウイルス禍で、人生初のテレワークが始まった。家に閉じこもる日々が続いた。これに伴い毎日往復1時間半を要していた丸ノ内線での通勤時間はゼロになった。この1時間半を、僕は硫黄島の時間に充てることにした。それで硫黄島への思いを繋ごうとした。何か一つでも良いから、硫黄島に関連することに取り組もうと思った。 僕はそれを一日一善ならぬ「一日一硫黄島」と呼んだ。硫黄島の文献を読む、関係者をリモート取材する、それをSNSで発信する。それらを「一硫黄島」とカウントした。 そんな中でリモート取材に応じてくれた一人が、戦没者遺骨収集の戦後史研究の第一人者である帝京大学の浜井和史准教授だった。まるで講義のような解説を受けた。国が戦没者遺骨に対してどう対応してきたのかについての理解が格段に深まった。