虎のソナタ 1992年湯舟ノーノーも休刊日前日 条件同じだったが…この日はタテジマ快挙お預け
(日本生命セ・パ交流戦、阪神3-0西武、3回戦、阪神3勝、9日、甲子園)戸郷(巨人)のノーヒットノーランを目撃したのが5月24日。わずか2週間余の間に2度もノーノーを見られるなんて、野球記者冥利に尽きるなぁ…と幸福感いっぱいで記者席から眺めていた。 戸郷の時は、阪神が巨人に甲子園でやられるのは88年ぶり。やられた相手が伝説の剛腕・沢村栄治。強烈なインパクトだった。 今度はタテジマの才木の番。もし阪神の投手が甲子園で達成したら、これまた32年の年月を経ての〝お久しぶり〟だった。1992年6月14日。達成したのは湯舟敏郎。懐かしく思って、感動のフィナーレを心待ちしていた。 あの日も、新聞休刊日の前日だった。翌朝の、一般紙が発行されない休刊日の駅売りのサンスポが、湯舟の偉業で飛ぶように売れたらしく、当時の部長がうれしそうだったことを思い出した。 32年後の本日10日も新聞休刊日。条件が重なり過ぎてるやないか!と勝手に興奮していたが、八回1死に〝落とし穴〟。まあ、仕方ない。 「才木浩人、25歳。チャンスはすぐにやってくる!」 このフレーズ、阪神の某投手が九回無死から初安打を浴びてノーノーを逃したときに書いた原稿の締めくくり。確信しながら書いたが、残念ながら某投手は実現することなく球界を去った。でも、今の才木になら、今シーズン中に、ひょっとしたら次の登板であるかも? それぐらいすごい投手になっている。 雨も降らずに、ホントよかった。 中止かもしれない…。 実は朝からトラ番記者たちは不安一杯で甲子園に出勤した。 もし、試合が中止になったら、打った! 投げた!では原稿が書けない。選手をジックリ取材して、原稿にできる話を見つけ出す必要がある。ということは、早めの出勤が必須だ。 トラ番・邨田直人は、試合開始予定より5時間以上前に甲子園に到着したが、サブキャップ原田遼太郎が先着していた。 「結構、早めに来たつもりだったのですが、サブキャップに負けてしまいました」