引退のロッテ里崎が語る「試合後に歌った理由」
――燃え尽き症候群でモチベーションを保てず負けるパターンもよく聞きますが? 「僕らは馬鹿だから(笑)。目立つぞ、目立つぞとなると手がつけられなくなるんです。ソフトバンクから2010年にロッテに来た的場(直樹)が、『ロッテに来て、なぜ2005年のプレーオフで負けたかがよくわかった。こんな雰囲気のチームに勝てるわけがない』と言っていました。『逆に当時、ソフトバンクは絶対に負けられないというムードでガチガチになっていた』と。ノビノビと、ガチガチが試合をしたら、そうなりますよ。シーズンの3位からCSを勝ち抜き、日本一になった2010年は、“史上最大の下克上”というニックネームがつきましたが、本当に僕らは何も失うものはなかったんです。だから勝ち進む反動は、えげつなかった。中日は勝ちたいと思っていたんでしょう。僕らは『これで日本一なったらギャグじゃねえ?』っていう感じでしたから(笑)。そういうテンションですから負けないです」 ――試合後の歌は、営業からのオファーでしょう? 「いえいえ。違います。自分からですよ。ずっと思っていたんです。当時は街を歩いていても誰からも声もかけられない。ジャイアンツや阪神なら野球だけをやっていれば有名になれるが、ロッテでは野球だけをしていてもニュースにならないことに気づいたんです(笑)。『認知度を上げていくには野球だけではあかん。なんか変わったことをせなあかん。じゃあ歌やな(笑)』と。自己プロデュースです。おかげさまでメディアにどんどん取り上げてもらいました。協力していただいたメディアの方々にも感謝したいですね」 ――昔から、そういう性格でしたか? 「大学で徳島から東京に出てきたことで考え方は変わりました。黙っていて誰かが拾いあげてくれるほど東京は甘くないんです。当事の部員もそうでしたが人が多い。自分から前へ前へ出て、そこで目立った仕事をして結果を出さないと人は見つけてくれません。ハッキリと自己主張をしていかないと、イエスマンでは通用しないんです。そこで結果が出ると自信にもなるんです。いい意味で東京、千葉の土地が僕を変えてくれました」 ――今後については、どう考えていますか? 引退会見では、あらゆる可能性を探していきたいと仰っていました。 「やりたいことは、たくさんありますが、言いません(笑)。出る杭は打たれるんです(笑)。世間は、一人の力でどうにか、できるほど甘くありません。野球は力で押しのけていける世界ですが、これから先は、誰の協力もなく生きていけるほど甘くないんです。選択肢は、野球界もあるし、野球界以外もあります。いろんなパターンを考えながら、それが5年かかるか10年かかるか、わかりませんが、チャレンジを続けていきたいと思っています」 (文責・本郷陽一/論スポ、アスリートジャーナル)