引退のロッテ里崎が語る「試合後に歌った理由」
――1998年のドラフト2位で入団されました。鳴門工で甲子園出場はなく帝京大に進み活躍されましたが、アマ時代は、ほぼ無名。エリート街道を歩いたわけではありませんでした。 「ずっと裏街道を攻めてきました(笑)。プロに行けるなんで思っていませんでした。帝京大進学も特待生ではなかったですからね。大学2年の春に、たまたま4試合連続ホームランを打ったんです。大学野球では、井口忠仁さん(青学)、広沢克己さん(明大)、森山正義さん(明学大)、古川慎一さん(亜大)だけしか打っていない記録で、急に取材がきたり、スカウトが見にきたりし始めました。実は大学では卒業したら高校野球監督になりたくて教職(単位)を取っていました。でも監督に『真剣にプロを目指してみるか。練習時間に支障が生まれるから、教職の単位を取るのは辞めたほうがいいな』と言われ、『そうなの? いけちゃうのかな?』みたいな感じで、少しプロ意識をするようになったんです。けれど、レギュラーになるために頑張って、レギュラーになったら優勝するために一生懸命やって、気がついたら逆指名でプロに行くことになったという感じです」 ――特に希望球団はなかったのですか? 「野球をやるのは大好きですが、見ることにはまったく興味がなくて(笑)。テレビと言えばバラエティかアニメ。プロ野球は、ほとんど見ていないから憧れも何もなかったんです。四国の田舎で巨人戦だけは見ていましたが選手も知りませんしね。大学4年のときにチケットをもらって日米野球を見に行きましたが、試合途中に寝ちゃったくらいですし(笑)。プロなら、どの球団でも、お世話になる考えでした。近鉄からも話があったそうですが、大学の監督が、『条件が一番いいし、ロッテなら試合に出れるぞ!』と言うので、『では、お願いします』となりました。実は、今でも必要なとき以外に野球を見ることは、ほとんどなくて(笑)……でも、それがWBCのときにはプラスに働きました」 ――というと? 「僕はメジャーにも、まったく興味がなかったのでアメリカやメキシコの選手を誰も知らなかったんです。知っているのは、ジーターにA・ロッド、ロジャー・クレメンス程度です。メキシコ戦では、先発のエステバン・ロアイザというピッチャーを見て、『こんなピッチャー楽勝やん』と実際に4回にホームランを打ったんですが、後からチームのメジャーに詳しい人たちに『おまえ凄いな。あの投手はメジャーで通算100勝しているんだぞ』と聞かされて、『えーー』という感じでした。キャッチャーとしても同じ感覚です。先発は松坂でしたし、クリーンナップに対しての情報を特に持っていなかったので、感性で『バット振れてないやん。インコース、がんがん行ったれ!』とリードしたんですが、後から聞くと、カスティーニャなんかは、メジャー通算300本以上を打っているバッターでした(笑)。まさに怖いもの知らずで、確か1本のヒットもクリーンナップに打たれませんでした」