【ドラフト家庭の事情】DeNA1位・竹田祐 元プロアメフト選手の父が明かす“指名漏れ”で培われた胆力
指名漏れの記事を「実家に貼ってほしい」
「いい投手になるために何が必要なのか、当時の監督さんなどからのアドバイスをもらい、ひたむきに実行していた。自分で考えて練習することが向いているだろうということで、履正社高に進みました。中学、高校、大学は自主性を重んじるチーム。その中でも、履正社時代の恩師・岡田龍生監督の自主性を重んじる教えがあったからこそ、壁に直面してもどうすべきだったのかを自分で試行錯誤して、夢に向かって努力し続けられたことが今につながったのだと思います。素晴らしい指導者に巡り合えたことに感謝しかありません」(同) 竹田の野球に対する向き合い方は「真面目人間そのもの」だと、勉さんは言う。 「大学、社会人時代に実家に帰ってきたときも、暇さえあればリビングでストレッチ。元旦に初日の出を見て、ランニングしたり。起きている時間の大半を野球に費やしていた。同じスポーツマンとして、『どんだけやんねん』と尊敬してしまうほどでした」 竹田は、生駒ボーイズ、履正社高、明大、三菱重工Westとエリート街道をひた走ってきた一方で、挫折は痛いほど経験している。明大4年時と昨秋にプロ志望届を出しながら指名漏れ。今秋、3度目のドラフトでようやくプロ切符を掴んだ。 「これまで何度も悔しい思いをして、そのたび力に変えてきたんです。明大時代に指名漏れした直後、田中武宏監督に肩を抱かれながら会見場を退出する姿が新聞に載りました。すると、祐はその記事を持ってきて、『実家に貼ってほしい。この悔しさを絶対に忘れないように』と。昨秋のドラフト直後も、食事が喉を通らないほど憔悴していたのですが、その1週間後くらいに実家に帰ってくると、『とにかくもう1年、勝負をかけて頑張る。ドラフト1位指名を目指す。このままでは終われない』と宣言した。決意が実ってくれて、本当にうれしいです」 踏まれても踏まれても立ち上がってきた胆力は、大舞台で生きる。 ▽竹田祐(たけだ・ゆう) 1999年7月5日、大阪府大東市生まれ。小学2年からオール住道で野球を始め、生駒ボーイズ、履正社高(大阪=17年センバツ準優勝)、明大を経て三菱重工へ。明大の1学年上の先輩・入江大生(現DeNA)からもらった「逆境からの成長」と書かれたボールが宝物。弟の剛さんは立命大のアメフト部に所属。右投げ右打ち。身長184センチ、体重96キロ。