10年目突入の「山口組分裂抗争」。終結のカギは井上組長の"首"!?
日本最大の暴力団・山口組の分裂抗争が遂に10年目を迎えた。 本家の運営方針に不満を覚えた直系組長13人が反旗を翻(ひるがえ)し、2015年8月27日に発足した神戸山口組だが、最高幹部の足並みが崩れて離反・引退が相次ぎ、いまや風前の灯(ともしび)に。一方の六代目側は、神戸側の籠城戦と警察の厳しい包囲網を打ち破れず、地団駄が続く状況だ。 【写真】暴力団追放を呼び掛ける警視庁の部長 「現山口組六代目親分に於かれては表面のみの『温故知新』であり中身にあっては利己主義甚だしく...」 発足に際して全国の暴力団組織に送った書状で、司忍六代目組長をこのように痛罵した神戸山口組。「利己主義」との文言から、司組長の出身団体の弘道会を偏重した人事や組織運営への不満が積もり積もったうえでの離反劇だったことが透ける。 「高山清司若頭、竹内照明若頭補佐と名古屋を本拠とする弘道会ラインが要職を占めた。そもそも直参は直系団体から1人が出るものなのに、竹内若頭補佐が13年に直参に昇格したことで、弘道会からは両名が名を連ねることとなり、慣習に反するという不満があった。 また、東海地方などの直参の中には、個人的に竹内若頭補佐の舎弟となっている者も複数いて、他の直系団体からは『山口組が弘道会に飲み込まれ、自分たちはお払い箱になる』という危惧が高まりつつあった。弘道会とのシノギのぶつかりあいでも格の違いで押し切られることが増え、五代目時代の主流派だった山健組の井上邦雄組長らが中心になって『割って出るしかない』と腹をくくることとなった」(捜査関係者) ■情報工作や引き抜きの応酬 そして、15年8月27日未明に井上組長を親分とする盃事が挙行され、神戸山口組が立ち上がった。同時に展開されたのが、六代目側を切り崩すための情報戦。実話誌記者が当時を回想する。 「六代目側内部の疑心暗鬼を増長するため、10人近い直参の名前が挙げられて二次加入するといった噂が喧伝されました。また、自らの正当性を示そうと、六代目執行部が総本部を神戸から名古屋に移転しようとしていたといった真偽不明の情報も流れました。 しかし、神戸側の発足後に移籍した直参は2名にとどまり、10年目を迎えても総本部は神戸に置かれたままです。メディアも彼らに振り回されたということですね」(実話誌記者) 袂(たもと)を分かった両組織は、激しい引き抜き合戦や示威行為を狙った繁華街での練り歩き、そして乱闘事件を繰り広げた。 「引き抜き合戦は当初は、神戸側が優勢だった。構成員のほとんどを持っていかれて、弘道会系の組長が失踪するという珍事まで起きた。ただ、『支度金を払う』という誘い文句で六代目側から神戸側に移籍したもののカネはもらえず、異議を唱えたところ半殺しに近いヤキを入れられたというケースもあった。結局、カネと人事を餌にした空手形乱発の引き抜き工作だったので、次第に元のサヤに納まっていった」(捜査関係者) ■銃弾から長期戦へ