小さな高級車を目指すも鳴かず飛ばずで2年で消滅! ファミリア感から脱却できなかった「マツダ・エチュード」という残念なクルマ
ファミリアの姉妹車「エチュード」とは
マツダのかつての大ヒットコンパクトカーといえば、1980年に登場し第1回日本カー・オブ・ザ・イヤーを受賞した5代目マツダ・ファミリア。それに続くキープコンセプトの6代目ファミリア(1985年~)をベースに、1987年に誕生したのがハッチバックタイプのスペシャルティ4ドアクーペのマツダ・エチュードだった。 【画像】この世にたった44台しか存在しなかったとされる激レアなマツダのロータリー車の画像を見る エチュード=練習曲を名乗り、決してヒット作とはならなかったものの(エクステリアデザインの練習!?)、6代目ファミリアより35mm低い全高もあって、スタイリュッシュさをアピールした、クルマをファッションとして乗る人のための小さな高級車、パーソナルカー的キャラクターのもち主ではあった。 ボディサイズは全長4105×全幅1645×全高1355mm。ホイールベース2400mm。6代目ファミリアの全長3990×全幅1645×全高1390mm。ホイールベース2400mmに対して、全長が115mm長く、全高が35mm低いプロポーションは、ウインドウの面積が大きく、また傾斜を強めたリヤセクション=テラスバックのデザインもあって、当時としてはなかなか洗練された印象であったのだ。 インパネなどは6代目ファミリアと共通ながら、インテリアや天井を布張りとするなど、ファミリアとの差別化が図られているあたりは、なるほどクルマをファッションとして乗る人のための小さな高級車、パーソナルカーとしては攻めた工夫といっていいだろう。
ファミリアとの差がほとんどない
しかし、エチュードはファミリアのように成功はしなかった。その理由として挙げられるのは、まずは価格だ。ファミリアより約30万円高の設定で、当時のマツダの上級車、ルーチェのベースグレード価格と同等だったのである。 次に、たしかにサイドやリヤから見るとファミリアとは別物だが、フロント正面から見るとファミリアほぼそのまま。これはいただけない。そして、インパネや天井を布張りしたとしても、インテリア全体の雰囲気はファミリアそのもの。小さな高級車、パーソナルカーとして物足りなさを感じさせるものであったのだ。 走行性能もまた、ファミリアそのものといっていい。1.6リッター直4DOHC16バルブ、110馬力、13.5kg-m、および1988年2月に追加された1.5リッター直4SOHC、76馬力、11.4kg-mのユニットもまた、ファミリアから受け継いだもの。 唯一、ファミリアより進んでいたのは、5速MTとともに用意された4速ATにロックアップ機構が新採用されていたことぐらいだろうか。また、足まわりは乗り心地重視のため、ファミリアのスポルトよりソフトなセッティングながら、カーブでも不安なく走れる操縦性、しなやかなフットワークに煮詰められていたようだ。ただし、4速ATのセッティングはレスポンスやノイズ面で不評だったようである。 そんなマツダ・エチュードだが、販売台数は低迷。発売から約2年後の1989年のファミリアのフルモデルチェンジと同時に生産中止。販売台数総数は2年で1万台に満たなかったのである。やはりファミリアに対してスペシャリティカーを気取った高めの価格設定、ファミリアと差別化の小ささがその理由と推測できる。 もっとも、人気が落ち着いた6代目ではなく「赤いファミリア」として若者を中心に大流行した、20代の筆者もブラックのスポルトを手に入れた5代目ファミリアの時代に、そのパーソナルな派生車としてエチュードが登場していれば、話は変わっていたかもしれない……。 ちなみに、エチュードは1989年登場のスペシャルティカー、4ドアクーペでリトラクタブルヘッドライトを用いたファミリア・アスティナへとバトンタッチすることになる。エチュード以降も、近年、マツダ3ハッチバックに象徴されるエクステリアデザインにこだわるマツダは、当時からこのクラスのデザインにこだわるコンパクトなスペシャルティカーのラインアップを決して諦めてはいなかったということだろう。
青山尚暉