「0-34」の屈辱を教訓に…宮城教育大硬式野球部は“強み”を生かし、前進する
宮城教育大硬式野球部は昨年、仙台六大学野球リーグで春秋ともに最下位に沈む屈辱を味わった。20戦全敗で、うち15試合はコールド負け。他大学と比べると部員数が少なく、本職ではないポジションで出場する選手が多かったこともあり、投打で圧倒される試合がほとんどだった。 それでも、下を向く者はいない。2016年秋以来の「4位以上」を目標に、現在は部員14人(マネージャーを含む)で鍛錬の冬を過ごしている。2月中旬、新チームの中心を担う渡邉諒主将(3年=東北学院)、野口武琉投手(2年=仙台一)、金澤朋也捕手(2年=盛岡一)、唯一のマネージャーで主務の眞山きららさん(2年=仙台南)に話を聞いた。
「これまでやってきた野球ってなんだったんだろう」
昨年4月9日、東北福祉大野球場のスコアボードに衝撃的な数字が並んだ。東北福祉大34-0宮城教育大。1試合34得点はリーグ新記録だった。宮城教育大の投手陣は被安打を上回る計22四死球を与え、試合をつくることができず。野手登録の1年生も登板せざるを得なくなり、苦しい時間帯が続いた。 あの一戦を、4人はどう受け止めたのか。 「これまで自分がやってきた野球ってなんだったんだろう、という無力さや空虚さを感じました。一生懸命汗をかいて、手が痛くなってマメもできるほど練習してきた。それなのに、どこでこんなに差がついてしまったんだろうって……」。内野を守っていた渡邉は、グラウンド上で呆然とすることしかできなかった。同じく試合に出場し途中からマスクをかぶった金澤も「あの試合が一番記憶に残っている。自分たちのやりたいことができなくて、逆に相手はやりたいことを思い切りできていた」と言葉を絞り出す。
本来なら先発ローテーションに入る実力を持つ野口は、リーグ戦開幕前に肉離れを発症し東北福祉大戦はスタンドから見守った。「自分がケガをしてしまったことの責任の重さ、事の重大さを感じました」と当時の心境を振り返る。ライブ配信の解説席に座って試合を見つめていた眞山は「配信中は厳しいことを言ったかもしれないですけど、内心は『なんでこうなってしまったんだろう』と悔しい思いでした」と回顧する。 この4人に限らず、宮城教育大ナインの脳裏には苦い記憶が色濃く残っている。一方、大敗を喫した経験が、各部員が野球と向き合う姿勢を変えるきっかけになったのも確かだ。