亡き母の思い出の残る理髪店で...脱線事故から19年 店を守る父と息子「母親のお客さんですから、いい加減な仕事はできないね」JR福知山線脱線事故
2005年4月25日、月曜日の午前9時18分ごろ、乗客を乗せた列車が脱線しました。記憶に深く刻まれる大きな事故。この事故に家族が巻き込まれてしまった後、すぐに店を再開させた理髪店がありました。母の思い出の残る店内で、息子は今も変わらず営業しています。 【画像を見る】脱線事故の8日後に母の思いを胸に店を再開「少しでも母親の仕事に近づけるように…」
母・父・息子の3人が理容師
兵庫・西宮市にある「ヘアーサロンにしの」。ハサミの音が響く店内。この道60年以上の西野道晴さん(84)は、慣れた手さばきで髪をカットしていきます。 (西野道晴さん)「妻が使っていたハサミ。妻のお客さんをずっと引き継いでいるわけやから」 使っているのは妻・節香さんが愛用していたハサミです。 (客)「お母さん亡くなって満19年になるなって思って」 (西野道晴さん)「年月が経つのは早いわ」 (客)「(節香さんは)非常に明るくていいお母さんでした (客)「(Q節香さんとの思い出は?)おはなし。わしは恋人代わりに来てたような状態やった。あんな突然にさよならしはるなんて」 そっと見守るかのように店内に飾られた節香さんの写真。店は節香さんが亡くなってからも息子・勝善さん(54)と2人で続けてきました。 (西野勝善さん)「(Q節香さんはどんな人だった?)バリバリ仕事をする人でしたね。仕事最優先みたいな感じの」 (西野道晴さん)「口が達者やし技術も一流やしね。残念ながらね、事故で亡くなったけど」
2005年4月25日に起きたJR福知山線脱線事故
2005年4月25日、月曜日。兵庫県尼崎市でJR福知山線の快速電車がスピードを出しすぎ、カーブを曲がりきれずに脱線。乗客106人が犠牲になりました。 節香さんもその電車に乗り合わせ、帰らぬ人となりました。
乗っていたのは2両目。犠牲者が最も多かった車両でした。 (西野道晴さん 2005年4月)「家内の非常に精神的なものが大きかったもんでね。大ショックを受けて何がなんだか」
父・母・息子が理容師という西野さんの家。中でも節香さんは数々のコンクールで受賞して店の看板でした。 (西野道晴さん)「妻はもうこの世におらんねやなということが、一日一日寂しさと、感じてくるんでしょうね」