【朝ドラ座談会】テーマが素晴らしかった『虎に翼』、緻密な作劇を評価したい『おむすび』
『虎に翼』と『あまちゃん』の共通点
木俣:吉田恵梨香さんは彼女なりの想像力や書きたい言葉やセンスみたいなのはあるけれども、『虎に翼』ではテーマ性やメッセージ性を優先したような気がします。それにはおそらく理由があって。そのひとつが、今回、NHKの解説委員の清永聡さんが取材データを膨大に持っていたことです。彼が世間に伝えたい事実の力がものすごく強かったから、物語が引っ張られたのはないかと感じます。「判決文は残る」というセリフを何度も何度も登場人物が言っていて。清永さんの想いが、吉田さんにそのセリフを書かせたんじゃないかと想像が沸くんですよ。最近になって出てきている話が、『虎に翼』は高齢の男性も多く観ていたというもので。知性と教養と地位のあるおじさまたちにも受けたのは、清永さんのデータによるものでしょうね。 成馬:穂高教授(小林薫)みたいなおじさんが視聴者にいっぱいいるってことですよね。まぁ、『虎に翼』で一番批判されていたのは穂高教授ですよね。寅子のお父さん(岡部たかし)にしてもそうで、女性の生きづらさを表面的には理解してくれるけれど、その寛大さが実は家父長制度によって温存されている権力構造によって成り立っているのを暴いたのが『虎に翼』なんだから、本当はその人たちが一番観ていて痛いはずなんですけどね。 田幸:吉田さんがインタビューで、穂高は保守ではなくて古いリベラルの人だと言っていました。『虎に翼』では法曹界の人やリベラルな人など、発言力のある人たちが朝ドラ語りに入ってきた印象はありますよね。 成馬:『あまちゃん』の時にも同じことを感じたんですよね。 木俣:サブカル界隈が急に朝ドラに入ってきて……。 成馬:『あまちゃん』を肴にしてアイドルや震災についての持論を披露したい人たちの語りが大きくなる一方で、ドラマ表現としての『あまちゃん』についてはあまり語られないまま終わってしまったなぁと放送当時は思いました。宮藤官九郎さんの時間軸が入り組んだ複雑な脚本や井上剛さんのリアルに作り込んでいるのにどこかファンタジックな映像など表現として語る部分の多い作品だったのに、ドラマとして観られていなかったというか。朝ドラとしても『あまちゃん』は再現性が低い、その場限りのお祭りみたいなもので、今の朝ドラに影響を与えているのは、実はその後の『ごちそうさん』なんですよね。 田幸:『虎に翼』と『あまちゃん』は社会現象になったという意味で近いと思います。さらに振り返ると『おしん』もそうですよね。『おしん』はあれだけ社会現象になったにもかかわらず、きちんと論考されているものが全然ないとプロデューサーの小林由紀子さんも言っているほどなんです。 木俣:劇中、おしんたちが食べた大根飯がブームになりました。橋田壽賀子さんが書きたかった戦後から高度成長期を振り返るということが伝わらず、大根飯に消費されてしまったというようなことをあちこちで語っていますよね。結局は広く大衆の心を捉えるためにはキャッチーなものが大事なのでしょう。例えば、井上ひさしさんは「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをおもしろく、おもしろいことをまじめに、まじめなことをゆかいに、そしてゆかいなことはあくまでゆかいに」という考えで作品を作っていました。彼は朝ドラを書いていませんが、その弟子筋の長田育恵さんが『らんまん』で井上イズムを継承した印象です。『おむすび』はギャルや栄養士でそれをやろうとしているようにも思いますが、時系列を入れ替えて、あとから理由がわかるようにするなど、単純なようで難しいことにトライしている。「なぜあえてそれをやる?」とむしろ面白くなってしまっています(笑)。