ピザは出来たてを親の敵のように食う。
大人への道中、時に迷うことがあっても、慌てず騒がず諦めず。自分を見失うことなく着実に歩を進めるべく、携えてほしい一冊がある。それは、昭和を代表する時代小説家、池波正太郎が残した『男の作法』。身だしなみ、食、女性、家……。1981年、58歳の池波センセイが自身の来し方より導き出した、微に入り細を穿つ“大人の男のあり方”は今もなお、僕らの心に響く。 優等生を目指す必要はないけれど、意識するところから、大人への道は始まる。
『男の作法』より
てんぷら屋へ行くときは腹をすかして行って、親の敵にでも会ったように揚げるそばからかぶりつくようにして食べていかなきゃ、てんぷら屋のおやじは喜ばないんだよ。
食べ方で店主に感謝と旨さを伝えよう。
ピザ屋に入っていく足取りからして、「よし、食うぞォ」という意気込みを感じさせ、席に着くなり一心不乱にメニューを貪り読み、これぞというピザを1枚決めてオーダーする。ビールやワインなりをやりつつ、頼んだピザが旨ければ「旨い」と無邪気に喜び、さっと店を後にする。男(シティボーイ)たるもの、“食べる”目的で店に入ったからには、食べることに専念し、心から食事を楽しむことが店に対してのエチケットなんじゃないかと考えるわけ。「よく、てんぷらの揚がっているのを前に置いて、しゃべってるのがいるじゃないの。そういうのはもうてんぷら屋のおやじががっかりする」とセンセイも深い憂いを見せるように、僕たちが足繁く通うピザ屋においてもてんぷら屋のそれとまるっきり同じことであるのだと8月のピザ特集を経て、いよいよもって気づいたのだ。 六本木のナポリピッツァの店、『フレイズフェイマスピッツェリア』のメニューは4つのみ。看板メニューのマリナーラを頼み、出されたそばから「いただきます」と同時に頬張る森岡さん。「ピザは間違いなく熱いうちが勝負ですよね」とアツアツのピザをナイフとフォークで端の方から切っていって、中央のトマトソースがたっぷり付いた核心部分に塩気の効いた生地をひたして、口の中がやけどするくらいの勢いで放り込んでいく。「旨い」。傍らでその至福の時間をそっと見守る店主の山口昇吾さん。目の前で職人技を拝めるのは、てんぷら屋も鮨屋もピザ屋も同様で、何より視覚と嗅覚を直接に刺激して食欲を掻き立てる。ピザの焼き加減に神経を配ることも、なまなかなことではないと見える。そんな職人たちに敬意を払うということは、まさに“親の敵”のように食べることになるのだろう。中華料理のようにテーブルを“汚せば汚すほど”、遠慮なくおいしくいただきましたという礼儀があれば、ナプキンのつかない日本料理のように、“こぼさない”という前提のもとに成り立っている料理もある。果たして、ピザ(ここではナポリピッツァ)の正しい食べ方というのは、出来たてをナイフとフォーク、時には手を使い“何よりも早く食べる”ことなのだ。食べ方ひとつで店の店主も喜んでくれるって素晴らしい。センセイがもしも“西洋のどんどん焼”と言っていたピザをいま食べていたらなんと言ったんだろうね。