「無職であることは悪ではない」ひろゆきが定義する“勤労”とは?
無職や生活保護に対する偏見が根強い日本では、「無職=悪」という風潮が広がっている。しかし、「無職になることは必ずしも悪いことではない」と異論を唱えるのが共著『あたらしい生き方』(扶桑社)を上梓したひろゆき氏とひげおやじ氏。 同書は、無職の人々からの投稿を紹介するYouTubeコンテンツ「天下一無職会」から誕生したものだが、その書籍内で両氏は多くの人が持っている日本国憲法にある勤労や納税の義務への勘違いを指摘し、「対価を得ることのみが労働ではない」と語る。 二人が考える現代日本の社会構造と価値観から見えてきた。あたらしい生き方、そして考え方とは?書籍から一部抜粋・再編集してお届けする。
無職になることは“悪”なのか?
ひげおやじ:世の中「無職になること=悪」になっている部分ってあると思う。罪悪感というか将来への不安や怖さがあって、みんな我慢して働いていて、それで病んでしまう人もいる。「天下一無職会」って、そういう人たちの気持ちを少しでも緩和できたらなと思って開催したんだよね。本当は仕事を休みたいし会社を辞めたいと感じている人も多いと思うから。 ひろゆき:そういう人もいるよね。無職の人で面白いエピソードのある人は働き盛りの20~30代が多いし。どうしようもないガチ無職は50代が多いけど。 ひげおやじ:そうかもしれない……。そもそもだけど、僕は無職になることには肯定的。 ひろゆき:僕は無職・有職に肯定とか否定は特にないかな。どんな職業だろうと別にかまわなくて、例えば、無職がブログ書いて得る収入も、家がお金持ちでもらえるお小遣いも、額面が同じなら一緒。そうした状況があるのだから肯定すべき/否定すべきという切り分けがないと思っている。そもそも論として、職業で善悪を分けるのは間違っているんじゃないかな。
収入がない人に納税の義務はない
ひげおやじ:話していることのニュアンスはわかるし、基本一緒。ひろさんはフラット。僕はポジティブ寄りのフラットで全肯定かな。なんでかというと、「天下一無職会」に応募してくださる方ってみんな面白くて明るくて前向きだから、そのまま突っ走っても全然いいと思う。「日本には勤労や納税の義務がある」と怒る人もいるけどね。 ひろゆき:納税の義務は収入がある場合に納税する義務であって、収入がない人の義務ではない。子どもがいない人は、教育を受けさせる義務を果たしていないのと同じだよね。 ひげおやじ:勤労の義務も、別に対価をもらうことが勤労であるという定義は特段ないわけだからね。 ひろゆき:孫の世話とか、近所でNPO活動をしている人に「勤労してない」と言うのも違う。勤労とはなんぞやという話。現在の段階で理解されない誰かの役に立つことをしていたとしても、例えば、ゴッホみたいに100年後に偉人になることもある。 ひげおやじ:それは、ゴッホは勤労だったということ? ひろゆき:ある意味で。存命当時は絵を描き続けたしね。結果、後世では莫大な価値を生んだけど当時は全く理解されず、絵も2枚しか売れなかったけど。そもそも「月給をもらうのが勤労である」というのに誤解があるんじゃないかなと。