鬼才フィリップ・リドリーが悪夢の少年時代を描く「柔らかい殻」、著名人コメント公開
鬼才フィリップ・リドリーがキャストにヴィゴ・モーテンセンなどを迎え、残酷で美しい少年の悪夢を描いた「柔らかい殻」(1990)が、デジタルリマスター版となって10月4日(金)よりシネマート新宿、シネマート心斎橋ほか全国で順次リバイバル公開される。著名人のコメントと監督のメッセージが到着した。 「柔らかい殻」予告編
■オートモアイ(アーティスト) フィリップ・リドリーによる草原のゴシック美学。 棺を想起させる黒塗りの車、単調な景色を飲み込む炎、壁にかけられた鯨の骨、腐敗する天使…超現実は常に現実の中に内包されている。少年の眼差しから語られる不条理で歪な世界。 ■押見修造(漫画家) 罪悪感、いや罪悪にまみれた「幼少期」は、その罪を自覚することによって「思春期」になる。 美しい田舎町の、血まみれの夢のような地獄は、決して少年を被害者として安心させてくれない。 手には、過去からの血がべっとりと染み込んでいる。 自分の少年時代が重なって、忘れられないお気に入りの映画になりました。 ■合田ノブヨ(コラージュ作家) 公開当時17才だった私は、この美しい奇妙な映画に、ビリビリに切り裂かれてしまった。毒気の多い家庭で育った為か、セス少年のように現実逃避の夢想が多く、精神的に幼い状態だった。生き抜く為には、色とりどりの空想が必要なのだ。セスはこのあと、「大人」に脱皮したのだろうか…いつまでも耳に残るラスト。私は未だやぶけた殻を被り、裂け目の中からこの世界を見つめている。 ■後藤護(暗黒批評) 少年期を「黄金時代」とする人間にとって、思春期はもはや堕落した「鉄の時代」だろう。フィリップ・リドリーは失われた、キラキラと輝く少年時代のイノセンスを復元する──ただし、アメリカン・ゴシックの禍々しさを帯びた、黄金と暗黒の入り混じった微熱の悪夢として。楳図かずおが「ヌーメラウーメラ」と名づけ、スティーヴン・キングが「それ」としか呼びようがなかった、少年の「おさなごころ」という怪物に只々圧倒される。 ■白井晃(演出家・俳優) リドリーの世界はいつもグロテスクでいて美しい。私たちの柔らかい肌をめくれば、血みどろの醜悪さが潜んでいる。人はみんなケダモノなのだ。少年の無垢ゆえの残酷さが、あたかも宗教画のように美しく浮かび上がる。 ■玉城ティナ(俳優) 私たちが持っているはずのもの。 それは今までの人生の成果であり当たり前ではない。 産声、叫び声、名前を呼ぶ声、どう使うかは、私たち次第、隣人次第であるという恐怖。 ■遠山純生(映画評論家) 合衆国の内陸部にある「海」とは、ここではまず病的なまでに黄色く大地を染め上げる広大な小麦畑。歪んだ家庭環境で育った幼い少年は、畑のなかにぽつんと建つ、海にまつわる思い出の品で満たされた一軒家で暮らすドルフィンすなわちイルカという名の年若い未亡人と出会う。黄色い海原を泳ぎ回るのは、不良たちを乗せた黒光りするサメのような高級車。どういうわけか、ここでは海と爆発が切っても切れない関係にある。そしてこの核時代の到来を示唆する象徴的な「アメリカ」のなかで、少年の紡ぎあげる物語が悲劇を招く。それは無垢が地獄となる、幼年期をめぐる悪夢。本作の語り口は、詩的でも残酷でもある脈絡のない細部の数々を、我流でつなぎ合わせて世界を理解しようとする少年の心そのものだ。 ■鳥居真道(ミュージシャン) 幼少期の笑えないイタズラの数々を思い出して冷や汗をかきました。人の生死よりむしろ吸血鬼や天使にリアリティが感じられてしまう子供の混沌とした感性が白昼夢のように描かれています。アイダホの淡い風景のなかに湿り気のない不穏な空気が漂う忘れがたい作品です。 ■人間食べ食べカエル(人喰いツイッタラー) 何かをしでかすのでなく、あえて何もしないという罪。それがどのような結果をもたらすのか気づいた時にはもう手遅れ。残酷な現実が少年のフィルターを通して襲い来る。これは無知と無垢の疑似体験。ここまで子供目線を維持した作品は中々お目にかかれない。成長とは痛みを伴うものだが、でも、これはあまりにも辛すぎる……。 ■松永天馬(アーバンギャルド/松永天馬のA研!) ほら思い出した。 誰もが少年少女の時代に抱えていた痛みや苦しみ。 目に見えない神様への畏れは今を笑い飛ばすことで克服し、 死への恐れは虫や蛙をなぶり殺すことで鈍らせる。 異性への怖れは愛憎でしか克服できず、 自分自身へのおそれは鏡と話すことで柔らげる。 鏡の向こうにいるのが天使だったら? 或いは生まれてこれなかった誰かの胎児だったなら? 傷だらけになり、傷だらけでいることにも慣れ、 すべて忘れれば大人になれる。 柔らかい殻を切り裂いて、 或いは映画館のスクリーンを切り裂いて。 『柔らかい殻』は映画ではない。 これはあなたの思い出だ。 ■フィリップ・リドリー(監督・脚本) 私の『柔らかい殻』が日本でリバイバル公開されることになり、とても感激していますし、嬉しく光栄に思っています。多くの人に観てもらえることは、私にとって非常に意味があります。皆さんの質問に答えたり、映画製作のエピソードを話したりすることができるのですから。もし、今までに本作を観たことがある方は、今回の上映で新しい発見をしてほしい。また、初めてご覧になる方には、もう一度見たいと思っていただけることを願っています。私の映画を見てくださった皆さんに心から感謝しています。