映画『悪は存在しない』インタビュー【前編】 濱口竜介監督が語る、石橋英子との共犯関係。
──飛行機の姿は映りませんし、意図的に加えた音だと思っていました……! あとは、冒頭とラストのトラッキングショットですが、ラストではメインテーマに加え、呼吸音も聞こえます。 あの音ももともと使う予定はなかったんです。直前のショットで、巧が娘の花を抱いて霧の中に去っていくんですけど、巧役の大美賀さんは一体どこまで行けば自分の姿が見えなくなるかわからないので、ひたすら奥に行くしかない。もう心臓がちぎれるんじゃないかという思いで走ってくれていたらしいんです。 大美賀さんはワイヤレスマイクをつけていたので、その時の呼吸音が録れていて、最後のショットに入れるといいんじゃないかとひらめきました。「巧がそんなに急いでいるということは、もしかしたら……」という物語上の意味合いも生まれるし、さらに自然の中で人間がなんとか苦闘しているさまを表現できるのではないかと。ちゃんと録れていない部分もあったので、一度アフレコも試したんですけど、切迫感が出なくって。なんとか実際の音を整えて使いました。 ──撮影や編集など各段階で琴線に触れたものを、一つ一つ取り入れながら作られた映画ということですね。もちろん毎回だとは思うんですけれども、今回は特にそうなんだろうなと。 そうですね、綱渡り的なところもあった感じですかね。やっぱり映画作りにおいて、偶然はすごく大事です。想定したものだけを頼りにしていると、まあ想定どおりに撮れればいいんですけど、たとえ撮れていなくても、「これはこれで必要なんだ」って、こちらが無理やり解釈して使ってしまうことがあります。でもそれはやっぱり無理が透けて見えるんですよね。だけど、偶然撮れたものが自分の感覚にバチッとくる場合は、「この映画に必要なものなんだな」っていうことがはっきりわかるんです。偶然によって方向性が定まり、そのまま進んでいくと、また別の偶然が見つかって……みたいなことが、映画制作をしていても経験として増えてきました。 ──去年のヴェネツィア国際映画祭では「今回おこなった映画作りは、自分の今後10年において重要なものになると思う」というふうに話されていましたが、今のお話とも関係ありますか? 10年先のことなど当然わからないので、その時の気分で言っただけかもしれません(笑)。でも今回、「偶然の迎え方」がちょっとわかるようになったというか、精度が一段階上がった印象はあります。次にどう展開していくかの糸口がつかめたという感じですかね。 基本的には準備が大事で、ちゃんとリサーチをしたり、偶然も含めていろんな出会いを重ねたりしていくと、「これでいけるな」という状態が自ずと整います。準備によって固めていくのではなく、むしろ変わっていく。そのさまを、今回は小規模な現場とはいえ体験できた。もっと大きい規模でも実現できるのかなど、これから考えていくつもりです。 ──『悪は存在しない』のラストを最初に観た時は驚いたんですが、2度目は必然だと感じました。偶然と必然を分けるのは結局、どこに焦点を当てるかの違いですが、たとえば過去作『偶然と想像』とも異なる、必然あるいは悲劇的な運命を強調するアプローチをとられたのはなぜですか? 悲劇とは考えていないかもしれないですけど、「必然」という言葉はずっと企画を進めている間、頭にあったかもしれませんね。やっぱりこれも自然の中にいたからでしょうね。そこでは偶然と必然がそんなに分かれていない気がしました。思えば自分の中でももともと、偶然と必然はそんなに分かれたものとして捉えなくなっているような気がします。「あの偶然がなかったらこうはならなかったね」という、要するに偶然を必然のものとして捉えるような見方が人生を作っていくわけですよね。おっしゃるとおり、どこに視点を持っていくか。現在において偶然を体験すると偶然性が強調されるし、後から振り返ると必然に感じられたりする。同じものを別の側面から見た結果なのかなと思います。 『偶然と想像』も偶然から始まってはいるんだけど、もうどうしようもなくこうなってしまう、みたいな話ではあるとは思うんです。逆に今回の『悪は存在しない』も、物語上にはっきり偶然が描き込まれているわけではないけれど、おそらくいろんな要素の偶然的な重なり合いによって、最後の展開があるんだと思います。「なぜこうしたんですか?」とよく聞かれますけど、自分の中では違和感がないし、観返すとどんどん筋が通って感じられる。ずっと取材をしてきた自分の身体からフッと出てきた、それこそ偶発的で、かつ自然な、必然的な結末だと感じています。 ●『悪は存在しない』 長野県、水挽町。自然豊かで東京からのアクセスもよく、移住者はごくゆるやかに増えている。そこで生まれ育った巧とその娘、花は川から水を汲み、薪を割るような慎ましやかな暮らしを営んでいた。ある日、近所にグランピング場を作るプロジェクトが持ち上がるが、実態はコロナ禍の不況にあえぐ東京の芸能事務所が、政府からの補助金目当てで企画したもの。環境を汚しかねないずさんな計画に、町民は動揺を隠せない。その影響は巧たちの生活にも静かに、だが着実に及んでいく。 監督・脚本_濱口竜介 音楽_石橋英子 出演_大美賀均、西川玲、小坂竜士、渋谷采郁、菊池葉月、三浦博之、鳥井雄人、山村崇子、長尾卓磨、宮田佳典、田村泰二郎 配給_Incline 2023年/106分/日本/カラー/1.66:1/5.1ch Bunkamuraル・シネマ 渋谷宮下、シモキタ -エキマエ- シネマ『K2』ほか全国順次公開中 © 2023 NEOPA / Fictive ●濱口竜介 映画監督。2008年、東京藝術大学大学院映像研究科の修了制作『PASSION』が国内外の映画祭で高い評価を得る。その後も『ハッピーアワー』(15)が多くの国際映画祭で主要賞を受賞、『偶然と想像』(21)でベルリン国際映画祭銀熊賞(審査員グランプリ)、『ドライブ・マイ・カー』(21)で第74回カンヌ国際映画祭脚本賞など4冠、さらに第94回アカデミー賞国際長編映画賞を受賞。本作では第80回ヴェネツィア国際映画祭銀獅子賞(審査員グランプリ)を受賞した。 Text & Edit_Milli Kawaguchi