日本人同士の虐殺を描いた映画「福田村事件」の裏で、地元・香川は葛藤を抱えた 今も残る部落差別…それでも「教訓を継承したい」
では、差別に利用されるのを恐れ、地名も何も明かさず、黙っていればいいのか。過剰に配慮すれば、部落問題の「タブー化」が進みかねない。 県連の岡本俊晃書記長は率直に話す。「解放運動は非常に悩ましくなっている」。ただ、こうも強調した。「悪いのは差別をする側であり、行動しないと差別はなくならない」 ▽泣き寝入り 「そっとしておいてほしい」。その気持ちの一方でカズトさんは、殺害された行商たちの無念さにも向き合っていた。行商たちは理由もなく残虐に殺害され、遺体は現場近くの利根川に流された。遺族の元には骨すらない。生き残って故郷に戻った6人も、事件のことを積極的に口にしなかった。 うち1人は周囲から「生きて帰って来たおまえは幸せや」「諦めなさい」となぐさめられたと、生前に香川の教師が行った聞き取りに証言している。 なぜ当時、被害者や遺族は声を上げなかったのか。カズトさんはこう推測する。
「部落差別を理由に『言っても仕方ない』と泣き寝入りしたのではないか」 福田村事件の加害者は8人が有罪判決を受け、うち7人が収監されたが、大正天皇死去による恩赦で1927年に釈放された。その後、加害者側からの謝罪はないという。「被害者側に立てば、いたたまれない」。カズトさんは言う。「ただ、同じ(自警団の)立場だったら、自分も加担していたかもしれない。そうさせた当時の時代背景を直視するべきなんじゃないか」 ▽慰霊の旅へ 事件から100年目となる今年の9月6日。カズトさんは遺族代表として千葉県野田市を訪れた。市民団体「福田村事件追悼慰霊碑保存会」の招待を受け、追悼式に出席するためだ。訪問は初めて。前日に新幹線や在来線を何本も乗り継ぎ、着いたのは出発から約7時間後だった。 慰霊碑は、保存会が2003年、殺害現場近くの寺の境内に建造したものだ。追悼式には約80人が集まり、花を供え、手を合わせた。カズトさんら遺族や香川の地元自治体職員のほか、野田市民や映画「福田村事件」の出演者も参列した。