住民が語る「松本サリン」長野県松本市城北公民館で振り返る会
長野県松本市の城北公民館は22日、平成6(1994)年6月27日夜にオウム真理教が北深志1の住宅街で猛毒の神経ガス・サリンを噴霧し、8人が死亡、約600人が重軽傷を負った松本サリン事件を振り返る会を開いた。住民ら30人が参加し、30年間心に抱えていた思いを語り、記憶を引き継ぐ大切さをあらためてかみしめた。 公民館運営委員の後藤芳孝さん(76)がニュース映像などを使い、事件の発生からの経緯を説明した。 現場近くに住み、住民1人が亡くなった明治生命寮から被害者を運び出すのを手伝った鯉渕保利さん(89)は「消防署員と共に近所の家を一軒一軒回り、午前4時ころまで安否確認を行った。妻と母が2週間入院した」と振り返った。酒店を営み、事件の発生前に犯行に使われた白い車両に気付いたという男性(80)は「実行犯の村井秀夫が教祖の麻原彰晃から『邪魔になる者はポアしろ(殺せ)』と指示されていたと後で知った。おかしいと思ったが、あの時に声を掛けていたら殺されていた」と語った。 第1通報者で被害者でもあった河野義行さんが警察やマスコミから容疑者扱いされたことに対する憤りの声も相次いだ。当時の取材状況を知るベテラン新聞記者や、事件後に生まれた世代で、発生から30年の記事を書いた若手記者も招かれ、「事件を知っている記者も減っている。伝えていかなければいけない」などと率直な思いを語った。 地元の田町と新田町町会は今年初めて、6月26日から28日まで明治生命寮跡地の田町児童遊園に献花台を設置した。田町町会の吉見隆男町会長(71)は「70を越える花束が置かれ、兵庫県や山梨県から来られた方もいた。複雑な事件だったとあらためて感じた」と述べた。 会を企画した後藤さんは「皆さんが心に秘めていた思いを語る機会が設けられてよかった」と話していた。
市民タイムス