<前人未到に挑む・東海大福岡「支える人」>/下 見守るOBの期待 選手の成長と活躍、心待ち /福岡
「今日の学校はどうだった?」「痛いところはない?」。宗像市の東海大福岡野球部のグラウンドで、旧東海大五(現東海大福岡)同校野球部OB会役員の円仏英喜さん(48)=同市=は、練習後の疲れ切った選手たちに必ず声をかける。選手たちからの「どうやったら打てますか?」といった質問にも答えるメンター(助言者)的存在だ。「話を聞いている時間が少しでも選手たちの息抜きになれば」と優しい表情で語る。 【写真で見る歓喜の瞬間】歴代のセンバツ覇者たち 会社員の円仏さんは休日はもちろん、平日も時間があると足しげくグラウンドに通い、練習を見守ったり、時にはノックを手伝ったりしてチームを支えてきた。 小学1年から野球を始め、中学2年では県大会優勝。センバツ初出場(1985年)に導いた監督、故穴見寛さんが率いる東海大五に入学すると、副主将で三塁手として活躍した。宗像市の高校野球を引っ張ってきた穴見さんが2021年に亡くなり、「宗像の高校野球を盛り上げるために何か力になれないか」と子供たちに貢献したい気持ちが強くなった。中高生の試合を見るのが好きだったが、中学時代には良い選手が高校では野球をしていないと聞くことが多く、「もったいない」と感じていた。 「高校入学時に良いスタートを切り、一人でも多くの生徒に高校野球をやってほしい」。22年夏、中学の軟式野球から高校の硬式野球への橋渡し役として、中学3年の部活動引退から高校受験前までの7~12月に高校でも野球を続けたい宗像、福津両市の中学3年をサポートするチーム「宗像選抜」を立ち上げた。 監督として毎週日曜、硬式野球に慣れる練習や中学の硬式野球クラブとの練習試合をし、これまでの2年間で約50人が参加した。東海大福岡で1年生の石井陽(はる)選手(16)と長郷陸斗選手(16)も宗像選抜の一員だった。 昨秋は母校、東海大福岡の福岡大会、九州地区大会の全10試合も観戦した。1月26日のセンバツ出場校の発表はオンラインで「学校の名前が呼ばれるまで本当にドキドキしながら」見守った。そして2年間の苦しい練習を乗り越える姿を見てきた後輩たちがセンバツに出場することは「自分の子供のことのようにうれしかった」と振り返った。 「後輩がどれだけ成長したかを甲子園で見られるのが楽しみ。大舞台で野球を思いっきり楽しんできてほしい」と期待する。センバツ後、一回り大きくなった選手たちから甲子園での活躍を聞くことを今から心待ちにしている。【長岡健太郎】 〔福岡都市圏版〕