「ボクは巨人に裏切られた」球団批判で罰金200万円、コーチとの不仲…「負けろ、打たれろ」江川卓をライバル視した巨人“ドラフト外のエース”
戦力外通告、飼い殺し、理不尽なトレード……まさかのピンチに追い込まれた、あのプロ野球選手はどう人生を逆転させたのか? 野茂英雄、栗山英樹、小林繁らのサバイバルを追った新刊「起死回生:逆転プロ野球人生」(新潮新書)が売れ行き好調だ。そのなかから西本聖の逆転人生を紹介する【全2回の前編/後編も公開中】 【貴重写真】「江川さんには絶対負けない」西本聖と江川卓レアなツーショット&久しぶりに再会した西本江川、中日電撃移籍後の西本などすべて見る ◆◆◆ しのぎを削った同世代のライバルはすでに引退して、オレのポジションは若手選手に奪われた。 そろそろ潮時かもな……。周囲だけでなく、自分すらもそう思う。かつて、そういう状況から移籍を機に劇的な復活を遂げたベテラン選手がいる。元巨人の西本聖である。
「江川さんは、ぼくのガソリン」
1974(昭和49)年に長嶋巨人の一期生として松山商からドラフト外で巨人入り。実は明治大への入学が決まりかけており、ドラフト外という低い評価に「裏切られた」という怒りもあったが、周囲の強い勧めもありプロ入りを決断した。当初は甲子園のアイドルで同期のドラ1定岡正二を強烈にライバル視するも、3年目に8勝を挙げて先を行くと、その次はひとつ年上の怪物投手をターゲットにする。“空白の1日”騒動で入ってきた江川卓に追いつき追い越せと西本は燃えるのだ。鋭いシュートを投げるために当時は珍しいプールトレーニングで手首を鍛え、電車内では一本歯の下駄を履き続けて下半身強化。いやそれ普通に周囲の乗客に迷惑なんじゃ……と突っ込みたくなる猛練習に明け暮れ、背番号30が投げる日には自チームの試合でも「打たれろ、負けろ」と念じ続けた。 「江川さんというのは、ぼくにとってガソリンだった。ぼくという車は、ガソリンがあるから走れた」 のちに「週刊ベースボール」のインタビューで、投手として圧倒的な才能を持つ江川の存在を「自身のガソリンだ」と語った西本は、1980年代の人気絶頂の巨人で強力二本柱を形成する。1981年には18勝を挙げ沢村賞と日本シリーズMVPを獲得。4年連続の15勝以上を含む6年連続二ケタ勝利を記録して、球界一と称されたフィールディングで7年連続のゴールデン・グラブ賞に輝き、一時期は江川や原辰徳を抑えてチーム最高年俸選手にまで登り詰めた。
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