【私の視点】 自民総裁選:身近な言葉の「不在」
アルモーメン・アブドーラ
自民党の総裁選挙が近づいている。候補者たちは一様に「国民目線」による政治改革や刷新を強調するが、その訴えは果たして有権者が身近に感じ、期待できるような内容を伴っているだろうか。 総裁選は、確かに政界における民主主義の祭典の一つだ。自民党は中央政界の多数派であるため、その党首はほぼ首相に直結する。レースを懸命に走り抜こうとする候補者は、いずれもテレビやラジオ、ネット配信動画などの各種メディアでの出馬会見を通じて国民に自らの政策や国家ビジョンを語りかける。 しかし、世間一般が個々の政策に関心を持っているとは限らない。候補者の数が多くなる今回のような場合はなおさらだ。それぞれの印象を競い合う展開になりやすい。 各候補は日本の新たなリーダーとして、日本の未来を切り拓いていく使命感と覚悟を示す必要がある。このため、誰もが経済の立て直しや防衛力の強化、暮らしの充実など、長期の危機や停滞からの脱出を目標として掲げていることが分かる。 そこで最大の武器となるのは、言葉である。そう、総裁選の立候補者が有権者に向けて発信しているメッセージを載せた言葉だ。この2週間で各候補者の掲げるキャッチフレーズやスローガンを点検してみると、次のような言葉や表現が多用されている。 「新時代」「未来」「守り抜く」「扉を開ける」「国民に寄り添う」「日本の未来を描く」など。 何だか、抽象的すぎて、印象に残らない言葉ばかりが並ぶ。そもそも私たちは何かに関心を持つと、認知力とその効果が高まる。そして、候補者の発するメッセージを認知するためには、集中的にその情報に注意を振り向ける必要があるようだ。 処理すべき情報が抽象的で難解であればあるほど、より多くの注意力や集中力、認知的労力が必要になり、それ以外の情報に注意を向けることは困難となる。そのため、候補者が真剣に訴えようとしている内容やメッセージを理解するのを途中で放棄してしまうことが多い。 これは複雑な構造のようで、実は極めてシンプルな話である。自分にとって身近で期待できる言葉にこそ価値を見出すこと、それが人間の求める情報と言葉の関係である。 天下のリーダーとして多くの武将や家臣から信頼を得てきた豊臣秀吉の魅力について、司馬遼太郎は、「人たらしの天才」であると記している。人と人とのボーダーレスの力を秘めたこの「人たらし」という資質こそリーダーには必要なはずだが、対面よりもリモートでの接触の多い現代社会では、たぐいまれなる資質であろう。
【Profile】
アルモーメン・アブドーラ 東海大学国際学部教授。エジプト・カイロ生まれ。在日歴28年以上。学習院大学大学院人文科学研究科で学び、博士号を取得。NHKや外務省などで通訳としての長いキャリアを持つ。著書に『地図が読めないアラブ人、道を聞けない日本人』(小学館)、「アラビア語が面白いほど身に付く本」(KADOKAWA)、「足して2で割れない日本とアラブ世界~深層文化のアプローチ~」(デザインエッグ)など。