江戸の家事はラクなのに? 研究者が語るもっとも重労働だった「昭和のくらし」
西洋文化の流入により、家事は女性にとって大きな負担となりました。そこで家電製品が一般家庭にも普及し、家事の省略化が進みましたが、現代では便利さや効率性を追求した結果、大量消費や環境破壊が進み、人々の暮らしからゆとりが奪われつつあります。本稿では、昭和のくらし博物館館長である小泉和子さんが、昭和時代の家事事情を振り返り、現代社会が抱える課題を考察します。 昭和のくらし博物館で公開されている「昭和の食卓」
歴史的に一番大変だった「昭和の家事」
昭和は歴史的に一番、家事が大変な時代なんです。江戸時代の家事はとても楽なものでした。洗濯は1ヶ月に1回ぐらい。洗濯するといっても、タライの中に水を入れて、脇に腰掛けてチャポチャポと洗うぐらいのものです。よっぽど汚れていたら灰汁などを使ってしっかりと洗いましたが、大抵の場合は水で洗うだけ。洗うものも、ふんどし、腰巻、襦袢ぐらいしかなかったのです。 それが明治になり西洋から色々な文化が入ってきて、これまでの伝統の和風の上に、洋風が乗って2つの家事をやることになってしまいます。 例えば洗濯です。西洋の洗濯は円筒形のタライに洗濯板を入れ、石鹸とブラシを使って行われていました。円筒形ですので、立ったまま、流しのような広い場所で洗っていたんです。 しゃがんで、タライで水に浸して洗うだけだった日本にも、洗濯板と石鹸が持ち込まれました。洗うものも、シャツやシーツなどが増えて、洗濯は一気に大変な作業になりました。洗濯の歴史の中で、一番重労働の時代になったのです。 一事が万事、西洋から入ってきたものと、日本のものが和洋二重になっていきました。西洋の文化は明治のうちに持ち込まれましたが、明治時代にそういったものを取り入れたのは上流階級だけでしたから、女中にやらせていたわけです。 ところが昭和になると一般家庭にも普及して、みんな洋服を着るようになりました。昭和30年頃までは、家に帰ってくると洋服から着物に着替えたりと、着物も日常的に着ていましたから、洋服・着物・下駄・草履・靴...そのように何でも和洋2つ揃えることになりました。 料理も煮る・焼く・刺身だけだったものが、洋食が広まったことでフライパンなどの調理道具や食器の種類も増えました。昭和の台所ほど、いろんなモノに溢れていた場所は他にありません。そして家事は全て女性に押し付けられていたので、女性たちはなんとか家事から解放されたいと願っていたのです。 ちょうどその頃、企業は軍需産業から平和産業に切り替えていかなければならない時期でした。そこで、みんな家電の商売に切り替えたわけです。どの企業も家電を売り込むようになり、家事がどんどんと省略されていきました。