同じ日本人でも「庶民」と「エリート」で使う言葉が違っていた…知られざる「知的格差」の歴史を読み解く
同じ日本人でも価値観や認識が違う
川島は(武士階級出身の)福沢諭吉の自伝を引きつつ、こういった農民とは異なり、武士階級では「契約の成立がきわめて明確且つ確定的なものとして意識されていた」とも書いている。例外的なエリートだった戦時中の大学教員の妻と、当時の日本のマジョリティだった農民との間にも、おそらく出自の違いはあっただろう。価値観や認識の、つまり知的習慣の階層差が江戸時代から明治時代、そして昭和へと引き継がれてきた可能性は高い。 そういった知的格差は、学歴による分断がある今日の社会にも残っているだろう。社会学者たちが指摘する教育の格差や、新井紀子が見出した大学のレベルによる学生の読解力の格差は、今の日本社会にひそむ大きな知的格差の氷山の一角かもしれない。学校の偏差値によって学生たちの振る舞いや雰囲気に言葉にし辛い印象の違いがあると感じたとしても、その背後にあるのは単なるペーパーテストの成績の違いではなく、もっと大きな知的格差の体系ではないだろうか。 次回に続く… ・・・・・ ※5 『日本奥地紀行』イザベラ・バード、平凡社ライブラリー ※6 「日本の成長と教育」文部科学省(昭和37年度)ただし法・理・文学部のみのデータ ※7 「旧藩情」福沢諭吉 ※8 『村落構造の研究』磯田進編、東京大学出版会 ※9 『長塚節「土」の世界』山形洋一、未知谷 ※10 「山の手と下町における敬語仕様のちがい」荻野綱男 ※11 『日本人の法意識』川島武宜、岩波新書
佐藤 喬