同じ日本人でも「庶民」と「エリート」で使う言葉が違っていた…知られざる「知的格差」の歴史を読み解く
福沢諭吉も記録していた
知的な振る舞いや認識の社会格差は、長く日本社会に存在してきたらしい。わかりやすいのはやはり言語の違いで、同じ時代・同じ地域であっても社会階層によって使う言葉が異なる例が観測されてきた。 福沢諭吉は、おそらく江戸末期の中津藩(現在の大分県付近)での身分による言葉の違いを記録している。たとえば(現代の日本語で)「行けよ」という意味の言葉は、上級武士では「いきなさい」と発言されるが、農民は「いきなはりい」などと言うという(※7)。 言葉の社会階層差は、その後も記録され続ける。明治時代末期から大正時代初期の徳島県の農村では「子供が父母を呼ぶのに、オトウサン、オカアサンが普通であったが、ごくこまい家(注:「格」が低い家)では、ごく子供の間はドド、カカと呼んでいた」(※8)。 あるいは明治時代後半の茨城県の農村では、同じ意味であっても、一般的な農民と農村部エリートである地主階層とでは使われる言葉が違ったらしい。相手に蕎麦掻を作ることを勧めるとき、一般農民の間では「蕎麦ッ掻でもしたらよかっぺ」と発言されるが、地主階層では「蕎麦掻でも拵えたら善いよ」となる(※9)。はるかに下った1980年代の東京都では、文京区に限定しても、下町と山の手での言葉の違いがみられたとする報告もある(※10) 重要なのは、階層によって異なるのは言葉だけではなく、価値観や認識にも大きな違いがあった点である。法学者の川島武宜は、第二次大戦中に農村に食料を買い出しに行った大学教員婦人と農民との間での、「契約」意識のズレを記している。夫人は農民に、次に村を訪れるまでの芋の取り置きを頼み合意したが、いざ行ってみると「『そのいもは、ほしいという人があったから、もう売ってしまって、ないよ』と言って、別にすまなそうな顔もしない」。夫人は約束を破ったことでその農民を非難したが「のれんに腕押し」で、むしろ逆に「非常識」だとして陰口を叩かれたという(※11)。