昭和おじさんのカリスマ、ゲンズブール。パリの私邸をノンフィクション作家が行く
ミュージアムとピアノバー
ミュージアムは30メートルほどの長い廊下だ。一方の壁に展示品が置かれ、その前に立つと、ゲンズブールが作った曲が流れる。 展示品はレコード、原稿、着用していた衣服、アクセサリーなど全部で約450点。なかにはゲンズブールとバーキンのふたりが表紙になった日本の雑誌『アンアン』も飾ってある。 展示品のある廊下を過ぎて、カーテンを開けると、そこはピアノバーになっている。内装は黒と赤で、フランスの昔のキャバレーを模したものだという。 私が訪れた午後6時過ぎ、ほぼ満席だった。ゲンズブールのファンたちがシャンパンや故人が好きだったパスティス(アニス風味のリキュール)を飲みながら語り合っていた。 この投稿をInstagramで見る 野宮真貴(@missmakinomiya)がシェアした投稿 ミュージアムにカフェやレストランがあるところは多いが、バーだけが付属しているのは稀だ。パスティスを愛したゲンズブールならではの付属施設と言っていい。
そこにあるのは気配
メゾン・ゲンズブールが他の個人記念館と違っているのはなんといっても、その場所にゲンズブールが暮らしていたことと、そこで亡くなっていること。 彼は病院ではなく、自宅で生涯を終えた。彼が生きた痕跡と気配が残っているのはメゾン・ゲンズブールだ。入館者は彼が暮らした空間のなかに立つことができる。彼の存在を感じることができる場所だ。 世界に数ある記念館、ミュージアムのなかでアーティスト本人の気配を感じる場所はそれほど多くはない。メゾン・ゲンズブールに比する場所があるとすれば、それは壁画「最後の晩餐」があるミラノのサンタ・マリア・デッレ・グラッツィエ教会ではないか。 レオナルド・ダヴィンチ本人が3年間、その場で絵を描いていた場所だ。レオナルドはまさにその場所にいた。私たちはレオナルド本人が絵を眺めた場所に立ち、「最後の晩餐」を見ることができる。 サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会もまたメゾン・ゲンズブールと同じく、入れ替え制だ。空間のなかに滞在できるのは少人数だ。 人ごみのなかで作品をちらっと見るのではなく、絵に没入できる空間となっている。そこでも、目を閉じると壁画が制作されていた1495年頃に戻ることができるのである。 世界にはいくつもの記念館があるけれど、実際に本人がそこにいた場所をそのままの状態にしてあり、しかも、なかに入ることができる場所は多くはない。 メゾン・ゲンズブールへ行くのであれば、展示してあるものを眺めるだけでなく、一度は目を閉じて、本人の気配を感じ取ることだ。「Don’t think, feel」の空間がメゾン・ゲンズブールだ。 野地秩嘉(のじ・つねよし): 1957年東京都生まれ。早稲田大学商学部卒業後、出版社勤務を経てノンフィクション作家に。『トヨタの危機管理 どんな時代でも「黒字化」できる底力』『高倉健インタヴューズ』『キャンティ物語』『サービスの達人たち』『一流たちの修業時代』『ビートルズを呼んだ男』『トヨタ物語』『伊藤忠 財閥系を超えた最強商人』など著書多数。
野地秩嘉