習近平が仕掛ける「沖縄に対する浸透工作」 大っぴらに内政干渉を行う中国の目論見
無自覚な自治体外交の危うさ
【安田】昨年6月4日付けの『人民日報』で、古書の版本を収蔵する中国国家版本館を訪問した習近平主席が、16世紀の明の官僚の琉球王国への出張報告書『使琉球録』を閲覧し、中国国内にある琉球墓と琉球館などについて言及したことが報じられました。 ちなみに習近平は福建省で勤務していた若手時代、友好省県提携を結んでいた沖縄県を何度か訪れたり、逆に日本側の友好訪問団を接待したりした経歴があります。なかでも福州市にあった琉球王国の中国側出先機関・琉球館については、1991年に習近平がみずから復元プロジェクトの旗を振ったという過去があります。 習近平は当時、琉球史を独学していたようで、今回の発言はその思い出話でした。ただ、独裁者である彼が沖縄について語り、それが『人民日報』で報じられるとなると、政治的には違う意味をもちます。 【益尾】おっしゃるとおりです。 【安田】この一件が、中国の対沖縄政策の転換を決定づけたと見られます。翌月には玉城デニー沖縄県知事が訪中しましたが、席次は従来よりも高かった。さらに、東京の中国大使館や福岡の中国総領事館の高官がしばしば沖縄を訪れたり、沖縄県庁からの訪問を受け入れたりするようになった。とくに今年春ごろまではほぼ毎月のように接触が見られました。習近平発言のすこし前まではこうした接触はほぼ見られませんでしたから、中国側のギアが明らかに切り替わったことがわかります。 一方、玉城知事は昨年11月に台湾を訪問する前、わざわざ「沖縄県は『一つの中国』政策を念頭に地域外交をしている」と、中国側に配慮した発言を行なっている。 「一つの中国」については、他にも日中共同声明の範囲を越えた言動が見られます。これは日中友好団体の日本国際貿易促進協会が沖縄県庁に食い込んで、彼らの中国認識を刷り込んでいるためですが、結果的に中国による沖縄の取り込みをアシストするかたちがつくられている。 中国自身の非常に興味深い動きとしては、今年3月、沖縄を管轄する中国駐福岡総領事館の総領事が楊慶東(ようけいとう)氏に代わったことが挙げられます。 日本に赴任する中国の総領事は、通常ならば中国外交部の「日本語閥」の専任ポストに近いのですが、今回の楊氏はモンゴル語専攻。日本のプロパーではありません。そんな彼が、なぜ福岡総領事に抜擢されたのか。 楊氏の経歴を調べると、もともと外交部の渉外安全事務司で働き、海南省三沙(さんさ)市の副市長に転じています。この三沙市は普通の都市ではなく、中国が占拠した西沙(せいさ)・南沙(なんさ)諸島を管轄する行政区で、一般住民もほとんどいません。 要するに、楊氏は外交部のインテリジェンス部門と、南シナ海の進出戦略の第一線で働いてきたという興味深い経歴をもつ人物です。彼が福岡総領事に据えられたことは、中国側の沖縄工作の意図を明確に示すものと見ていいでしょう。 【益尾】三沙市は海上民兵の会社を運営していますね。今回の人事は、中国側からの大きなメッセージとして受け止める必要があります。中国の沖縄浸透工作に対して、日本はもっと警戒を高めるべきです。 【安田】すくなくとも私の目には、沖縄県庁の警戒感の薄さははがゆい思いがあります。県庁筋に近いところからは「中国とはこれまでも(歴史的経緯からも自治体外交でも)仲良くしてきたから」「沖縄の平和の思いを伝えたい」といった、ホンワカした話も聞こえます。 しかし、中国との友好関係を深めることと、そのほかの国々と同じような関係を築くことはまったく違う意味をもつ。このことに無自覚であるように思えます。 先の大戦における沖縄の悲しい歴史と、現在の深刻な基地問題について、日本本土の無関心は大きな問題です。沖縄側に本土と異なる考え方があり、行政と世論とを問わず平和を求める感情が強いのも当然です。それでも、県側が中国と無防備に「交流」する自治体外交は、あまりにリアリズムを欠いていて危険です。 【益尾】私も沖縄の歴史や厳しい現状は大いに理解できます。でも沖縄がもしも中国との交渉や関係性をテコに、東京からよりよい条件を引き出そうとしているのなら、それは沖縄を米中新冷戦の最前線に位置付ける発想です。戦闘機や船で、日本や台湾威嚇しているのは中国です。 沖縄には、中国の人たちは東京に対する自分たちの不満をわかってくれるという声があります。でもそうやって工作員と交流して喜んでいると、いつしか相手に取り込まれてしまいます。沖縄が中国の明確な工作に緊張感を抱いていないことに、私はかえって危機感を覚えます。 【安田】沖縄県が事実上の対中接近を行なっていることは、地方自治の理念のもとでは制約しにくい。ただ、私は今回の深圳事件に際する日本政府側の対抗処置として、たとえば全国一斉で中国との姉妹都市外交の一定期間凍結を呼びかける、くらいの措置を検討してもよかったと思うのです。 全国一斉なら、沖縄県に「国から介入された」というしこりを残さず済みますし、そもそも沖縄以外の地域の、中国との自治体外交はさほど活発ではない場合がほとんどです。 【益尾】現実的に考えれば、自治体に与えられた権限を制約することは難しいでしょうね。私個人は、国際秩序が岐路に立ついまだからこそ、日本側から露骨な反中シグナルを送ることはやめたほうがよいのでは、と思います。中国は過度に反応しますから。 面白いと思うのが台湾の事例です。台湾は蔡英文(さいえいぶん)総統時代、安全保障を確保しつつ、他方で自分の経済や国民生活を守ろうとしていました。そのため、異なる分野の利益のバランスをとることに腐心していたのです。 米国は中国の台湾侵攻が「2027年までに起きる可能性が高い」と言っていましたが、その米国に対しても戦争の可能性を過度に強調すべきではないと説得したようです。安全保障のリスクを強調しすぎると、台湾への投資が減って経済が崩壊しかねませんから。 現在は国際秩序の移行期で、さまざまな脅威が存在しています。そのうちのどれか一つだけにフォーカスすると、全体としてはむしろ平和を損ねてしまうかもしれない。それぞれの脅威を適切に抑止しつつ、私たちの日常生活を運営し続ける工夫が必要です。 だからこそ、対中政策についても冷静に議論し続けるべきだし、そのためには私たちが中国の行動原理をよく理解する必要がある。隣国である中国とは長期的に付き合わざるを得ないのですから、彼の国をよく理解し、その力を利用しながら自分の体を守っていくやり方しかありません。