ケネディ元大統領夫人の妹、出版王との結婚・離婚、そして“公妃殿下”に…「プリンセス・リー」は何者だったのか
ジョン・F・ケネディ大統領の夫人として有名なジャクリーン・ケネディの妹であり、社交界の華として知られたリー・ラジウィルが、NYのアッパー・イースト・サイドのアパートメントで亡くなったのは、2019年2月15日。 【写真】おしゃれなのはジャクリーンだけじゃない! ケネディ家の洗練ファッションを総覧 その命日にあたり、彼女の在りし日を振り返ってみていた人も多かったかもしれません。 “カメレオンのような”という表現が、これほどふさわしい女性は、おそらくほかにはいないでしょう。「永遠のファッション・アイコン」とも呼ばれるリーは、どのような人たちの間でも“成功”を収めることができる、まれな存在でした。
名家の家系
出生名は、キャロライン・リー・ブーヴィエ。株の仲買人だった父ジョン・ヴェルヌー・ブーヴィエ3世は、高級家具の製作や不動産業を営んでいた裕福な家庭の出身でした。母はソーシャライトのジャネット・リーです。 最初の結婚は、1953年4月。夫のマイケル・キャンフィールドは出版社の重役でした。1958年に離婚し、その後はポーランドの貴族の血を引くスタニスワフ・アルブレヒト・ラジヴィル公爵と再婚。「ラジヴィル公妃殿下(プリンセス・ラジウィル)」を名乗るようになりました。 公爵夫妻は2人の子どもに恵まれましたが、1974年に離婚。リーはその後、最後の夫となるアメリカの映画監督、(『フットルース』で知られる)ハーバート・ロスと再々婚しました。
小説家カポーティも「賛美」
エミー賞授賞式の会場で、トルーマン・カポーティと、1967年6月4日撮影 「ティファニーで朝食を」で知られる小説家のトルーマン・カポーティがリーと知り合ったのは、1962年。彼女は2番目の夫と、姉のジャッキーはケネディ大統領と結婚していました。 1967年、リーをスター女優にしようと考えたカポーティは、舞台『フィラデルフィア物語(原題:The Philadelphia Story)』と、1968年にテレビドラマ化された『ローラ殺人事件(Laura)』に彼女を起用しました。ただ、リーの演技は酷評されるようなものでした。
それでもカポーティは、彼女を称賛し続けました。1976年には『ピープル』誌に対し、こう語っています。 「素晴らしい女性です。ルックスもスタイルもセンスも、人々がジャッキーを高く評価するもののすべてを持っているのは、リーです」 「ジャッキーは、それらをまったく持っていません。それにもかかわらず、リーはその“超一流”とされた人の陰で生きてきたのです」
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