セリーヌ・ディオンやABBAが輩出、欧州国別対抗歌合戦「ユーロビジョン」の驚きの歴史
起源はウィーン会議、エリザベス女王の戴冠式も関連していた
ヨーロッパのパフォーマー(そしてそのファン)たちが、優勝を目指して毎年競い合う「ユーロビジョン・ソング・コンテスト」。熱戦が繰り広げられ、多大な人気を誇るこの番組はしかし、常に現在のような形で行われてきたわけではない。1950年代から続く国際的な歌の祭典のルーツは意外なことに、第二次世界大戦でヨーロッパにもたらされた破壊にある。 ギャラリー:エリザベス女王やナチスも関連、「ユーロビジョン」の驚きの歴史
ユーロビジョンとは何か
ユーロビジョン・ソング・コンテストのルールや参加者は時代とともに変化してきたが、その中心には常に音楽がある。各国がオリジナル曲を演奏するアーティストを選出し、ライブで行われる準決勝で他国の代表と競い合う。 コンテストのハイライトは、フランス、ドイツ、イタリア、スペイン、英国の「ビッグ5」および開催国のアーティストが、決勝に進出したアーティストたちと競い合うグランドフィナーレだ。準決勝では、参加国の視聴者と音楽関係者からなる審査員の投票で、パフォーマンスを採点する。決勝では、参加国を含め世界中の視聴者による投票が行われる。最高得点のアーティストがその年のタイトルを獲得し、自分の曲をもう一度披露する。 優勝国には、マイクの形をしたガラス製のトロフィーと翌年の大会の主催国となる機会以外には、さほど多くの特権が与えられるわけではない。それでも、何百万人もの視聴者にとって、この桁外れに派手で魅力あふれるコンテストは、決して見逃せない愛すべき番組だ。2024年はスウェーデンのマルメで37カ国がしのぎを削り、スイス代表としては1988年のセリーヌ・ディオンに続き、ニモが優勝した。
放送をめぐる国際協力の破壊と創造
歴史家のディーン・ブレティッシュ氏によると、ユーロビジョンの起源は、ナポレオン戦争後の1814~1815年、ヨーロッパの再編成を担ったウィーン会議にまで遡るという。多国間の条約会議に参加する出席者たちには、音楽とダンスに興じる機会が山ほどあった(会議ではワルツの人気が高く、国際的なワルツブームが巻き起こった)。 オーストリアの王宮でさまざまな国が主催するコンサート、舞踏会、音楽会が開かれる中、会議の多国間取引からは、いくつもの新しい政府間組織が誕生した。大陸全体にわたるこうした新たな協力関係は、電信、ひいてはラジオという新たな分野を監督するグループへの道を開いた。 1925年には、国際放送連合(IBU)と呼ばれるグループが、ヨーロッパおよび世界中でのラジオの規制と普及の一翼を担うようになった。 しかし、ラジオをめぐる国際的な協力も戦争の波を食い止められなかった。第二次世界大戦はヨーロッパのインフラ、国家間の信頼、さらにはヨーロッパの国境までも壊滅させた。ソビエト連邦政府は、戦時中のIBUはナチスに乗っ取られていたとして、同組織の存在に反対するよう働きかけた。 結局、IBUは1950年に解散し、同年、西ヨーロッパの23カ国により欧州放送連合(EBU)が設立された。