【高校野球】別海の島影隆啓監督が今月限りで退任…今春センバツに21世紀枠で出場、コンビニ副店長兼務で疲労ピークに
今春のセンバツ甲子園に21世紀枠で出場した別海の島影隆啓監督(42)が、今月限りで退任することが30日、分かった。2016年に就任後、コンビニ副店長との兼業で指導を続けてきたが、心身の疲労がピークに達したことで、一時的に野球から離れる決断を下した。後任には高山善亘顧問が就任する。 人口の8倍牛がいる別海町から甲子園へ。史上最東端から夢をかなえた熱血監督が、高校野球から“一時的に”離れることになった。今秋の地区予選敗退後に学校関係者に退任を申し出た別海・島影監督は「心身共に疲れてしまい、休もうと思った。それと、生活のことも考えて」と理由を説明した。 母校・武修館の監督を経て、16年に同校監督に就任した。当時の部員は2、3年生4人のみ。土は荒れ、冬に使用するビニールハウスは雑草だらけ。打撃用ネットなど練習用具も十分にそろわない環境の中、「10年で甲子園」を目標に地道に強化に励んできた。 自称「昭和の野球」を掲げ、時には厳しく選手と向き合い続けた。就任1年目は公式戦全敗からスタートしたが、保護者や周囲の協力体制も徐々に整い、昨秋は部員19人で全道大会4強入り。就任8年目でセンバツに出場した後も、春、夏と史上初めて3季連続で地区予選を突破した。 数々の功績を残してきたが、コンビニの副店長を務めながらの兼業で心身の疲労はピークに。夜明け前の午前3時から仕事を始め、夕方にはグラウンドで指導を続ける日々で体は悲鳴を上げていた。また長女、長男、まもなく2歳になる次男の子育ての面でも、これまでの生活を続けていくことが難しくなった。 今後はコンビニでの勤務を続けながら、次に進むべき道を模索する。「長男が野球を始めたばかりなので地域の野球振興に携わってみたい思いもあるけど、もちろん、野球への情熱が消えたわけではない。高校野球にこだわりはないけど、やっぱりもう一回、次は夏にあの場所(甲子園)に戻りたい思いはある」。充電期間を経て、指導者人生“第3章”に向けて歩み出す。(島山 知房) ◆島影 隆啓(しまかげ・たかひろ)1982年5月2日、別海町生まれ。42歳。釧路緑ケ丘高(現武修館)では捕手と一塁手で活躍。札幌大では準硬式野球部でプレー。一般企業で1年半勤務後に母校のコーチ、監督を務め、2016年から別海の監督を務めた。家族は妻と2男1女。
報知新聞社