日本球界に望むこと…グローバルな視点で世界の野球に好影響を与えてほしい!/元オリックス・マエストリ「カルチョの国から」06
2012年から2015年までオリックスでプレーしたアレッサンドロ・マエストリ氏。4年間で96試合に登板して14勝を挙げた右腕は、NPB史上初のイタリア人選手としても知られる。同氏は現在、イタリアで野球用品販売店を経営しながら、3月6、7日に京セラドームで侍ジャパンと対戦する欧州選抜の投手コーチに就任した。カルチョの国で生まれた野球を愛する男が特別連載コラムをお届けする。 インタビュー・訳=浦口雅広 【選手データ】アレッサンドロ・マエストリ プロフィール・通算成績
2020年限りで現役引退
2015年のシーズン後、私はオリックス・バファローズを自由契約となりました。その後、BCリーグの群馬ダイヤモンドペガサスと契約し、開幕前の3月に韓国リーグのハンファ・イーグルスに移籍することになりました。期せずしてKBOでも最初のイタリア人選手となったわけですが、野球に関していうと、あまり幸せな時間だったとは言い難い状況でした。2016年3月に身重の妻と一緒に初めて韓国に渡りました。 チームに合流して最初の数週間はとてもコンディションが良かったのですが、突然原因不明でパフォーマンスが落ち始め、成績は悪くなかったものの、最終的には6月初旬にリリースされることになります。しかし、このとき妻は出産間近だったため、韓国内に数日留まり、娘のAsiaは6月23日に生まれたのです。そんなこんなで7月に入ってから、再び日本に戻り、群馬ダイヤモンドペガサスで16年シーズンを終えることができました。2017年はメキシコ、2018年と2019年は夏はイタリアリーグ(サンマリノ)、冬はオーストラリアリーグ(シドニーブルーソックス)でプレーを続けました。 2020年(サンマリノ)は私にとって現役最後の年でしたが、そのシーズンが終わったあと、あれだけ好きだった野球を本気で楽しめなくなっていて、家族と自分の野球用品店にもっと時間を費やしたかったので、引退することを決断しました。
悪い意味で変化したイタリアリーグ
なぜ私は野球を楽しめなくなってしまったのか、自問自答したのです。およそ12年ぶりにイタリアリーグに戻ってみると、離れる前とはいろいろなことに悪い意味での変化を感じてしまいました。まずはリーグ運営の質が下がっていると思います。イタリアリーグは昔から、セリエAをトップカテゴリーとして、B、Cも合わせて国内の大人だけで130チームほどが、日本と同じく春から秋にかけて試合をしており、皆、本業の傍ら夜に集まってきて練習をし、そして週末の試合に備えるのです。 日本の皆さんがおそらく驚くほど、国内のあちこちに野球チームも野球場もあるのです! セリエAともなるとメジャー経験もあるような外国人選手も入り、イタリア人選手にもチームから少ないながら給料が出ていました。五輪やインターコンチネンタル等々、みんな代表選手“アズーリ”になることにあこがれてプレーしていたのです。 しかし、2010年ごろからMLBも介入し、リーグの完全プロ化と選手の強化・育成をはかる改革により、資金力のないチームは撤退を余儀なくされ、そのあたりからは五輪やWBC、プレミア12という国際試合の場で、イタリア代表選手というとほとんどがオリウンド(イタリア系外国人)中心に編成され、コーチングスタッフもアメリカを中心とした外国人で固められる、ということになるのです。 そうして国内リーグでプレーすることのモチベーション低下が、若手選手のレベルダウンを招くことになります。結局は昨年の第5回WBCのように、選手30人中、イタリア人は4人だけ、イタリア人の私でも見たこともなければ聞いたこともないアメリカ人たちが、代表ユニフォームを着て侍ジャパンと東京で戦っているのですから、一体そんな“アズーリ”に誰が興味を持つでしょうか? イタリアの子供たちが野球に興味を持ってくれたとしても、それは今のままでは近所のチームに入ってやるだけの「趣味」や「暇つぶし」で終わってしまうのです。WBSC(世界野球ソフトボール連盟)の会長は何十年も何代も、ずっとイタリア人なのに、国内リーグはそんな状況です。私が感じた「楽しくない野球」は、そういった環境変化の悪影響を感じながらプレーしていたからだと思うのです。