ピース綾部の現在地 渡米5年を機にLAへ移住 「エンタメの地で挑戦することをやめない」
また、ハーレーに乗るので、東京やニューヨークより、カリフォルニアの方が適していました。ニューメキシコ州、コロラド州、ユタ州、アリゾナ州、さまざまな場所をハーレーで駆け巡ります。ロサンゼルスの壮大なエンタメと自然の融合は、東京では感じられないです。都会がありながら、山、森、海へも行くことができるロサンゼルスは、今の僕にとって丁度良い場所です。心地が良いです。
「芸人さん」に憧れた幼少期、工場勤務から上京
綾部:自分の中でのターニングポイントは2つ。芸人を目指し茨城から上京した時と、日本から米国へ移住した時です。まず、小学3~4年生の時に幼馴染と描いていた夢が「芸人さん」でした。中学、高校と進級するにつれ、幼い頃に思い描いていた夢は、遠いものになっていきましたが、今思えば、お笑いというものを常にテレビ番組を通して追いかけて観ていましたね。
茨城での工場勤務時代は、給料のほとんどをアパレルに散財するほどファッションが好きだったので、東京に上京しショップ店員になろうと思っていました。ある時、いつものように幼馴染と東京に行き買い物をしていると、テレビ番組「ダウンタウンのごっつええ感じ」のロケに遭遇したんです。「まっちゃん!いつも見ているよ!」と、偶然にも松本さんに声をかけることができました。そして撮影中にダウンタウンさんへ向けられた凄まじい歓声に衝撃を受け、まるで時が止まったようでした。
その夜茨城へ帰り、幼馴染と行きつけの居酒屋で「今俺たちは20歳。10年後の自分たちは、子どもが2人ぐらい居て少し太って、ここの居酒屋で『もしかしたら俺らも芸人になっていたかもな』なんて話しているかもね」と。俺たちの夢は芸人になることだったはず。やってダメならまだしも、たられば話をするなんてクソダサい、その時そう思いました。
この出来事がきっかけとなり、上京して吉本の芸人養成所に入り、7年の時を経て松本人志さんと「すべらない話」でテレビ共演も果たしました。そこからブレイクするまでにさらに4年。11年の下積み時代を経て、自分が思い描いていた「芸人さん」になる夢をかなえました。